2006年7月17日

人を動かす

「よっしゃー!」
「ばんかいー!」
「絶対とるよー!」


パートナーと互いに声を掛け合い、気力を全面に出して挑んだ最後の大会
どしゃ降りの雨の中、健闘むなしく娘の中学ソフトテニス部での3年間は
県大会2回戦で敗退し幕を閉じた。

試合に負けた悔しさだけではない感慨が溢れ出した娘たち
人目をはばからずに全員が抱き合って声を上げて泣いている

ずぶぬれになりながら声をからして最後まで応援してくれた後輩たち
日焼けした顔の前で祈るように組んだ手を震わせながら涙を浮かべる

大会を通して初めて応援に来てくれた先生方や同窓生たち
惜しみない拍手と労いの声援を途切れることなく送り続けている


最近すっかり涙腺が弱くなってしまったスポーツばかの親父は
そんな光景を遠目に見ながら、これまでの娘たちの変遷を思い返し
不覚にも込み上げてくるものを抑えることができなかった。

「本当に よくここまできた・・・」



ウチの娘は小学校の頃から私ら夫婦の影響で硬式テニスをやっていて、その硬式テニス部がない中学でソフトテニス部に入り、硬軟二足のわらじを並行してきました。

硬式一本でやらせた方が良いという周囲の声もあり、彼女自身もどうするか迷っていたのですが、私は学生時代の部活での経験はとても貴重な財産になると信じていたので、中学入学と同時に敢えてそうすることを勧めました。

しかし…

当時娘が入部した女子ソフトテニス部は周囲から「弱小女テニ」とレッテルを貼られ、顧問の先生は素人同然、部員も気晴らしでやっているような子が多く、正直とても大会で勝ち進めるようなレベルではありませんでした。と言うより、それを目指して活動している部ではありませんでした。

加えて中学生という多感な時期、統制力のない部内では個性的な子ども同士の対立、はたまた顧問との対立、何かと問題を起こしては親まで呼び出される始末。一時は活動禁止なんて時期もあって「この経験は貴重な財産?」と予想以上にあきれてしまう状態でした。

私はせめて「自分のために自分一人になっても練習だけはきっちりやりなさい!」と諭し続けるしかありませんでした。 半ば諦めてはいましたが・・・


ところが彼女はそんな私の後退した気持ちを見事に裏切ってくれました。

昨年夏の市中大会、2年生ペアで唯一団体戦のメンバーに選ばれ試合に臨んだ彼女は、初戦でチームが負けたとき、平然としている3年生の傍らでラケットを何度も地面に叩きつけ一人泣いていました。

私たち親にとっては何ら珍しいことではありません。彼女は小学生のときから試合に負けて平気な顔をしていたことなど一度もなく、試合に負けることは彼女にとって決して当たり前のことではなかったからです。
私の目には「何故泣いてるの?」みたいな表情で突っ立っている回りの連中の方が奇異に見えました。

しかしそんな彼女の姿は、仲間の意識を徐々に変えていったようです。

このとき泣いている娘に声をかける子はほとんどいなかったのですが、その数ヵ月後、彼女らが主軸となった秋の新人戦で敗退したときは、相変わらず泣き崩れる娘の元に2年生全員が駆け寄り、抱きかかえるようにして声をかけ、一緒に涙を流す子もいたのです。

そしてこの頃から彼女たちの様子は明らかに変わっていきました。

娘が自主的に行っていた早朝練習では、初めのうち仲のいい部長の子と二人だけだったのが、いつの間にかチームメイト全員が毎日欠かさず出てくるようになり、大会や練習試合が終わると必ずミーティングを行って課題を確認しあうようになり、私らが送迎する車の中での会話も、お笑い番組の話からテニスの話へと変わり、試合に負けた悔しさをみんなが当然のように表すようになりました。もう彼女らにとって試合に負けることは当たり前ではなく、勝つことが目標になっていたのです。

娘のテニスに対する姿勢は無意識のうちに他のメンバーを「もっと上手くなりたい」「勝ちたい」という方向に動かし、その一つになった彼女たちの気持ちが学校や親までも動かして、みんなが強烈にバックアップせずにはいられない状況になっていました。

クラブ登録をして外部コーチを招へいし、ナイター練習や他校との練習試合も頻繁に行うようになり、最終学年となったこの4月からは、何とテニスの心得があるということで、私と家内までもがコーチがいないときの練習を見てやって欲しいと学校から要請されました。

ほんの数回でしたが、実際にコート上で、彼女たちの純粋で真剣な眼差しと向き合ってしまった私はもうだめです。この子たちを何とか勝たせてあげたいと本気で思うようになっていました。


「人が人を動かす」のはうまい言葉でもテクニックでもない
どれだけ純粋な情熱を持って、どれだけ真剣に打ち込んでいるか
私は娘にこのことを今さらながらに再認識させられました


そして6月悲願の県大会出場を目標に迎えた最後の中学総体

その市中大会は4校による予選リーグを苦戦しながら何とか突破、決勝トーナメントでは運も味方して準決勝まで勝ち進み、何と総合3位で中信大会進出。

翌週行われた中信大会ではすっかり勢いに乗って、またまたびっくり今度は何と決勝進出。その決勝の相手は先週市中準決勝で敗れた県No1の強豪校。娘たちはリベンジを果たそうと最後まで懸命にくらいつきましたが、残念ながらあと一歩及ばず惜敗。

しかししかし、学校中がひっくり返る中信大会準優勝という堂々たる成績で、「弱小女テニ」は十数年ぶりとなる県大会団体戦出場を果したのです。

私が何より嬉しかったのは、彼女たちがこの中学最後の大会で、部活を通して得た素晴らしい仲間と一緒に、初めて歓喜の涙を流す経験ができたということでした。



娘のダブルスのパートナーで、女テニ最強の問題児と言われてきた子のお母さんが、県大会最後の試合を見届けたその足で私ら夫婦のもとに歩み寄り、涙ながらに話してくれました。

「最初は退屈しのぎに始めたと言ってたのに、まさかここまで来るなんて思いもしませんでした。一時は学校にも行きたくないと言っていたあの子が、グッピー(ウチの娘の愛称です)とがんばりたいって一生懸命やり出して、家でも毎日のようにテニスの話をしてくれて、もう嬉しくて嬉しくて・・・何てお礼を言ったらいいか… 本当に娘さんのおかげです! ありがとうございました!」

私は返しました

「お宅の娘さんは素晴らしい孝行娘ですね
これだけ私たちを感動させてくれたんだから・・・
お母さんも胸を張って 帰ったら褒めてあげて下さい
今日のプレーは最高だった! 本当によく頑張ったねって・・・」

心の中で私は自分の娘にも同じ言葉をかけていました

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