2009年4月29日

恩返し

「母さーん お久しぶりです!」

「いらっしゃ~い 元気だったー?」

「あれっ?マスターは?」

「いるいる~ そのうちその辺から出てくるんじゃない?」

「こんな小さい店のどこに隠れてるんですか」

「まあ入って入って ゆっくりしてって下さい」

「ハイッ お世話になりまーす!」


繁華街から少し離れた町の中心部を流れる川沿いに、ご夫婦二人で切り盛りする土蔵造りの小さな民芸スナックがあります。ここは私が社会人になって一番初めにいわゆる常連となった行きつけのお店なのですが、オープンしてからもう35年近くお二人だけで営業を続けていらっしゃいます。

私が結婚して家庭を持ち、歳を重ねるに従って最近は店を訪れることもめっきり少なくなっていたのですが、先日ある会合の二次会で久々に訪れる機会を得ました。


この店のマスターは、スポーツ刈りにした西田敏行のような風貌をしていますが、若い頃は都会のとある大きなリゾートホテルで販促や料飲部門のチーフとして長年活躍し、そこでサービス業のノウハウを身に付けたこの道のプロです。当時職場で知り合った今の奥さんと結婚し、故郷である当地に帰りこのお店を始めました。

奥さんは東北なまりが少し残るお世辞抜きに日本美人の方で、今でも若い頃とちっとも変わらない優しさと美しさを備えた素敵な女性です。

私は十代の頃から一回り年上のお二人を「マスター」「母さん」と呼ばせてもらい、当時はほとんど毎日仕事帰りに通っては旨い夜食をいただいたものです。もちろんウチのカミさんともしょっちゅう一緒に行っていたので、結婚前の若かりし頃から現在に至るまで、二人まとめてお世話になったまさしく親代わり、というか本当に頼りになる先輩夫婦です。

実は私とこのお店との出会いは結構衝撃的なものでした。

それは私が寿司屋で丁稚をしていたある日のことです。その寿司屋によく客を連れて来ていた常連のホステスさんが、何を思ったのか「一度ごちそうするから今日仕事が引けたらおいで」と、裏にそのスナックの地図を描いた名刺を差し出して私を誘ってくれたのです。

『ご・・ごちそう?ごちそうって・・何だ?』

当時私は19歳のすこぶる健康で好奇心旺盛な男子です・・・
困ったことにそのホステスさんは20代前半の魅力的な女性です・・・
関係ないけどウチのカミさんはそのとき京都の短大生です・・・

・・・どうします?


「お先に失礼しまーす!」

いつにない気合とスピードで板場の掃除を片した私はチャリで激走しました。

くれぐれも誤解しないで下さい。激走したのは寿司屋もそのスナックも同じ午前2時閉店だったからです・・・ホントです。

そして2時を少し回った頃、さすがに看板は消えていましたが店内からは灯りが漏れ、BGMや人の話し声も聞こえていたので、遠慮がちにガラガラッとガラス戸を開けて「こんばんは~」と暖簾の間から顔を出してみると、一瞬時間が止まった感じの後、すぐさま訝しげな表情のマスターがツカツカッと私のほうに近寄ってきて、強い口調で一言「今日はもう閉店です!お帰り下さい!」その威圧感に思わず後ずさりした私は、ガラガラパチン!と入り口を閉鎖され、何と門前払いを食らってしまったのです。

『エーッ!ホントかよ~』 これが私とマスターとの初対面でした。

まあ無理もありません。そのときの私の出で立ちが、寿司屋のユニフォームであるダボシャツに腹巻、おまけに角刈りに雪駄でしたから、マスターは明らかに危ない方面の人間だと思ったそうです。

しかも目当て・・・いや当のホステスさんは「近くのお店で働いてる若くてとても爽やかなお兄さんが来るから・・・」とだけ言って、私が着いたときには酔って奥のテーブルで寝ていたというではありませんか・・・マスターは私とその「爽やかなお兄さん」がとても同一人物とは思えなかったのです。

しかし、何だか誤解されているようで嫌だった私は、翌日ちょうど仕事が休みだったので、誤解を解こうと今度はそれなりの身なりで早めの時間にそのスナックに赴いたのです。ちょっとびっくりした表情のマスターを横目にカウンター横のテーブル席に座り、キープしたダルマを飲みながら話すチャンスを伺っていたのですが、カウンターの常連客と盛り上がっていたマスターに結局話しかけることができず、その日は黙って帰りました。

そして次の日、私は仕事帰りに今度こそとユニフォームを普段着に着替えてまた午前2時過ぎに行きました。すると前日までと明らかに違うマスター夫婦が笑顔で私をカウンター席に迎え入れてくれたのです。実はその日の夕方例のホステスさんが店入りの前に寄ったらしく、話しているうちに私が件の「爽やかなお兄さん」と同一人物であることが分かったというのです。平謝りに謝罪された私はホッとするやら嬉しいやらで、その日は朝方までマスターと語り明かしたのでした。

この話は今でもこの店の語り草になっていますが、それから一気にマスター夫婦と打ち解けた私は、一緒に旅行に行ったり、予約で忙しい日には店を手伝ったりして、本当に家族のようにお付き合いさせていただきました。


そんなマスターはご自身もとても勉強熱心な人ですが、私が飲食に携わっていた頃は、経営や接客、サービスのイロハを真剣に教授してくれました。そんな中で今でも私が教訓としている話があります。

「水商売だってただ好きだからとか持って生まれた器用さだけじゃ長続きしない。本気で勉強して食材の一つ、酒の一つにきちんとした知識を身に付けることが大事。仕事ってのは人に言われてからやってるようじゃダメ、人と同じことをやってるだけでもダメ、人が嫌がる仕事でもさらっとできるようになって初めてお客様の気持ちが分かるようになる。お客様の気持ちが分かるようになって、そしてその気持ちに応えられるようになって初めて一人前なんだ。」

ときに厳しくそしてときに優しく、公私に亘って色んなことを教えていただきました。

若い頃、金がなくて暫く店に顔を出さないでいると、心配して連絡をくれたマスターに「いいから出ておいで」と言われ、行ってみると奥のテーブルに母さんが作ってくれた鉄鍋一杯のおじやが用意されていたこともありました。何も言わずに、でも笑顔で手招きするマスターと、やっぱり笑顔で当り前のように冷たい麦茶を持ってきてくれる母さん。私はその世界一おいしいおじやを涙を流しながら一粒残さず食べました。

ちょっとした事情があって家族と離れて一人暮らしをしていた私のことを、お二人はすべてお見通しだったのです。私にとっては決して大袈裟な話ではなく、あの時代にこのお二人と出会っていなかったら今の私はないと思っています。そんなお二人にいつか恩返ししたいとずっと思っているのですが、私がしっかり仕事をして、家庭を大切に幸せに生きてくれることが一番の恩返しだと言ってくれます。


久々の再会でいつの間にか店にいたマスターとそんな昔話をしていると、傍らで笑いながらも懐かしそうに涙を拭う母さんを見て、またカミさんや息子達を連れてこようと思うのでした。

今度は私がお二人に元気を与える番です
これからも健康でがんばって下さいね!