2006年7月9日

昨日ある方のお葬式に参列してきました。
亡くなったのは私にバーテンのイロハを教えてくれた
パブハウス「やね裏」の初代マスターだった方です。
まだ61歳という若さでしたが4年前に食道ガンを患い
厳しい闘病生活の末、無念にも帰らぬ人となってしまいました。


「やね裏」というのは松本駅前のらせん階段で有名なビルの3階にあったパブです。私は20歳から約2年間「よっちゃん」の愛称で親しまれ勤めさせていただきました。

当時世間はバブルに向かう絶頂期、ちょうどカラオケとか居酒屋なんかがあちこちに出始めた頃、今と違ってとにかく夜の街は活気がありました。
「やね裏」も例外にもれずとても忙しく盛ってましたから、40代50代の方々の中には「あーあの店」と懐かしく思われる方(あんたあの「よっちゃん」だったの?ってびっくりしてる方)が結構いるかもしれません。

現役の頃から私を息子のように可愛がってくれて、店では水商売のノウハウを叩き込んでくれた亡きマスターは、酔っぱらいのやかましい客が来ると厨房にこもって包丁を研ぎ出すという男気?にあふれ、破天荒とか野放図という言葉がよく似合う人でした。山が大好きで採ってきた山菜やきのこを店のお客さんに半ば強制的に食させ、グラスを傾けながら満足そうに薀蓄を語る姿が思い出されます。一方で「またぎ」という顔も持っており、冬になると雪深い山中に出かけ、シカやシシそれにクマなんかも猟銃担いで追っかけ回していました。私たちスタッフもシカ刺しやシシ鍋という珍味をご馳走になりながら猟の武勇伝をよく聞いたものです。

そんなマスターとの惜別の場で私はとても貴重なことを思い知らされました。

会葬者に挨拶をしていた奥さんが私を見つけると「よっちゃん!」とだけ言って、それまで気丈に振舞っていた姿から一転、私の腕をつかんでポロポロと涙を流しました。奥さんは当時店の厨房をやっていてマスターを助け、スタッフのまかないも毎晩手料理で用意してくれて、私たちが今でも親しみを込めて「母さん」と呼ぶとても素敵な方です。

そしてやはり当時お店のスタッフだったマスターの弟さんが、久々の再会で握手をしたその私の手を引いて控え室のご親族の前に導き「おい!よっちゃんだよ!」と皆に声をかけました。するともう25年以上ご無沙汰していたマスターのお母様やお姉さん夫婦、それに弟さんの奥さんが、口々に「ああよっちゃん」「よくきてくれたねエ」と、こちらが感激するほど喜んでくれるのです。
お姉さんは松本の有名な菓子処のおかみさんです。「弟夫婦はいつもよっちゃんはどうしてるかなぁって言ってたんだよ」と目頭を押さえます。「毎年の年賀状でよっちゃん家のことは手に取るように分かってたよ。いつもありがとね」若い頃と同じおっとりした口調で弟さんの奥さんが話してくれます。

ご家族だけではありません。「あの人どうしてるかな?」と思っていた旧知の常連さんたちが葬儀に駆けつけていて、一様に皆「おお!よっちゃん元気?」と肩を叩いてあの頃と変わらない声をかけてくれるのです。

私は思いました
『ああ マスターの魂がこの人たちとの縁をまた繋いでくれているんだな』

さらに思いました
『どんな人とでもたとえわずかでも正直に誠実に接しないといけないな』

若僧だった私は決して従順で素直だったわけではありません。
しかし「やね裏」というお店が好きで毎日真剣に仕事をしていました。
納得できないことはマスターや先輩にも正直にぶつけました。
しかし彼らに対し、お客様に対し礼儀を欠くことはしませんでした。
辞めるときも半年前にマスターの自宅に伺ってご家族全員の前で
納得していただくまで話をしました。


自分の生き方一つで人との縁は良くも悪くもなるものだと思います。
何より、いついかなるときでも胸を張ってその人の前に立てること
それは「今」「ここ」で「自分」がどう生きているかで決まります。
家族を思い、仕事を思い、誠実に堂々と生きているそのオーラが
何気なく生じた縁を、揺るぎない縁に昇華させていくのだと思います。
そして揺るぎない縁は、人生をより豊かなものにしてくれると確信します。


『マスター あなたが繋ぎとめてくれたこの素晴らしい人々との縁と
あなたの魂の教えに感謝し、心よりご冥福をお祈りします。
今まで本当にありがとうございました! どうか安らかに・・・』


(「改革」と「改善」Vol.2はまたの機会に)

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