2018年8月8日

ようこそ Vol.5

「鹿児島のお義母さんからLINEきて、緊急入院したらしい」
それは自身二人目の子の誕生を1ヶ月後に控えた長男からのメールでした。

2018年7月21日。その日東京に住む長男は、入院している祖父の見舞いのため、当地松本に向かう特急あずさの中にいました。

出産を控え、嫁と子どもが鹿児島の実家に里帰りしていたこともあり、気軽で身軽な長男としては週末の土日を使って祖父を見舞い、夜はオヤジに旨いもんでも食わせてもらおうなんて考えていたのでしょう。

しかし、まったく想定していなかった予定日1ヶ月前の嫁の突然の入院は、夫である長男のみならず、私らにも大きな不安と緊張をもたらす一大事となりました。

「オレ このまま鹿児島に行った方がいいかな?」
「どうやってそのまま鹿児島に行くんだ...とりあえずまっすぐウチに帰って来い」
少々パニクりながら我が家に戻った長男を諭しながら状況を見守ることにしました。

長男の嫁はその日未明に出血とお腹の張りを訴えたので、先方のご両親がすぐかかりつけの病院に連れて行ったところ、切迫早産と診断され安静が必要ということでそのまま入院することになりました。出産予定日はちょうど1ヶ月先の8月21日、少なくとも37週目となる8月3日までは張り止めと点滴で様子を見たいと主治医から伝えられたそうです。

しかし、その日の夕方を過ぎても容態は安定せず、しかも4年前に最初の子を帝王切開で出産したときの古傷に大きな負担がかかり、このままでは母体が危険な状態になるとの説明を受け、大学病院に救急搬送して夜10時から緊急手術をすることになったのです。

幸いお腹の子は2千グラムを超えており、そして頼りになる鹿児島のご両親がずっと付き添ってくれているということで、私らは母子ともに無事この窮地を乗り越えてくれることを信じて祈るだけでした。

それまで余計な心配をかけたくないと、弟、妹夫婦には入院したことを敢えて連絡しなかった長男でしたが、出産のための手術が決まったところで私が長男に「皆に報告するぞ」と了解を取って家族LINEに載せました。

するとつい半年前に初産を経験し、長男の嫁を実の姉のように慕う娘と、同じ切迫早産で3ヶ月間の絶対安静の入院を経験した次男の嫁からひっきりなしに長男の嫁を気遣う応援メッセージが入り続けました。

歳は若くも出産と子育てを経験する二人の妹たちからのメッセージは、とても力強く、そして心に響くものでした。今、自分たちの姉はそれを見ることができないと分かっていても、その命がけの闘いを我がことのように思いやる二人のメッセージに、涙腺に締まりがなくなった齢六十間近の私と家内は、込み上げる気持ちを堪えることができませんでした。

そして、手術開始から1時間になろうとした夜11時前、鹿児島の母上から「元気な男の子が産まれたよ!自分で泣いたから大丈夫!おめでとう!」の嬉しいメッセージが届きました。

二児の父親となった長男と私ら夫婦が自宅で歓喜と安堵の涙に包まれる最中、諏訪に住む次男から「おめでとう!義姉さんの身体は大丈夫?」とすぐに姉の容態を心配するメッセージが入りました。

毎日ケンカばかりしていた君達が、父になり母になりお互いを思いやる兄弟妹になっていることに、私はまたも感極まってしまいました。

本当に素敵な家族に恵まれたものです。

そして、二児の母親となった長男の嫁の手術は日付が変わった午前零時半に無事終わり、吉田家の長い一日は、家族全員の溢れる「おめでとう!」の中で幕を閉じたのです(^o^)/



この子の父親である長男の名は「京平」といいます。
「京」は人が集まる都。自分の周りに自然と人が集まり、その中心にいてその世界を「平」らかにできるような男たれ、との思いを込めて私が名付けました。この名前の由来は、彼が高校生のときにしっかり話したと記憶しています。

その長男は、此度元気に産まれてくれた二人目の息子を「奈央」と名付けました。
そしてその名前の由来を彼は家族LINEにこう載せました。
『この子にもそういう男になって欲しいから、奈良の都から「奈」を、いつもその中央にいるということで「央」の字を取って奈央にしました』 と…

彼は京平と名付けた私の思いをずっと胸に刻んでくれていて、この名前に誇りを持っている、この名前に恥ないように生きたいといつも思ってると言ってくれました。

この日、私はオヤジ冥利に尽きる中、長男と二人で明るくなるまで杯を重ねたのでした。

「ようこそ 奈央 幸せになろうな!」