2009年11月29日

教訓

「この度はご愁傷様でした・・・
本当に・・・突然のことで・・・何と申し上げていいか・・・」

「いえいえ とんでもございません・・・
お忙しいところありがとうございます・・・」


先週お葬式があり参列してきました。
亡くなったのは事務所のメインバンクにお勤めだった53歳の男性です。

当然バリバリの働き盛りでもあり、ようやくこれから家族や自身を振り返る余裕が少し持てるかなという時期でもあります。

それが土曜日の日中に突然クモ膜下出血で倒れ、救急車で病院に運ばれたのですが、日付が変わった翌未明、家族にひとことの言葉をかけることもないまま息を引き取ってしまったそうです。

おそらく真っ白になっている頭と心を必死に整理しながら、気丈な態度で会葬者への挨拶を返す奥様と二十歳になる一人息子のご長男、そのお二人を支えるように横に立って一緒に頭を下げる弟さん夫婦
ご両親は高齢なうえショックがあまりに大きく、自宅で喪に服しておられると伺いました。

本当にかける言葉が見つかりませんでした・・・


実は、この方は私の高校の先輩でもあり、弟さんはまたその高校で私と同期の友人でもあり、そして件のメインバンクは家内が独身時代に勤務していた会社なので、家内にとっても元上司という関係でとてもお世話になった方です。

そんな縁で、不動産を少し持っている彼のお父様と彼本人の確定申告もここ数年私がお手伝いさせていただいており、事務所にとってはお客様でもあります。今年もほんの2ヶ月前にお会いして、いつもと変わらない元気な笑顔を拝見しながら、一緒に半年分の帳簿を整理したばかりでした。
残念でなりませんが、これも受け入れなければならない事実です。


私が懇意にしていた人物で、若くして亡くなってしまったのは彼で4人目です。

私が26歳のとき、以前働いていたパブで大学在学中ずっとアルバイトをしてくれていた男性が、卒業後郷里の九州長崎に帰郷した翌年2月、心不全を患い亡くなったとご両親から連絡を貰いました。
享年23歳でした。

彼はこちらにいる間、私と家内を兄や姉のように慕ってくれていました。私たちも純朴な彼の人柄が大好きで、しょっちゅう家に呼んでは一緒に飯を食ったり、恋の相談にのってあげたりして、本当に弟のように可愛がっていました。
四十九日を過ぎて、とにかく一度私たちに会いたいと九州から来てくれたご両親が、『息子は亡くなる直前まで今年の6月にあなた達の結婚式に行くことを一番の楽しみにしていて、毎日のようにあなた達との思い出話をしてくれていたんですよ』と仰ったときは、私も家内もその場に立っていることさえできませんでした。

その2年後、瓦店を営む親父さんの後を継いで、その会社をもっと大きくしようと大志を持って懸命に働いていた私の高校時代からの親友が、奥さんと幼い二人の子どもを残し、仕事中に屋根から転落して意識が戻らないまま帰らぬ人となってしまいました。享年28歳でした。
私は気が遠くなるような悲しみの中で、号泣しながら弔辞を述べましたが、何を話したのかほとんど記憶がありません。

当時は私も若かったので、彼らの死は本当に信じがたく、その事実を受け入れるためには相当な時間が必要でした。

そして4年前ですが、現在も事務所の顧問先である企業の経理責任者だった男性が出勤してすぐ会社で倒れ、救急車で病院に運ばれましたが、ほどなく息を引き取ってしまいました。急性心不全、享年40歳でした。
彼は以前別の顧問先の経理担当者だったのですが、その会社を辞めることになり、就職の相談を受けていた私がこの企業さんに紹介した方でした。とても勤勉で有能な男性でしたが、放っておくと夜も寝ないで仕事をしてしまうような男でもありました・・・


私も今年50歳を過ぎ、そろそろ自分の親の死に対する心の準備をしなければならない歳周りになりましたが、若くして亡くなった彼らのように、こちらにその覚悟がまったくない状態での突然の訃報は本当に辛い現実です。

しかし辛い現実だからこそ強烈に刻まれる教訓が私には二つあります。


一つは死というものが特別なことではないということです。
言い換えれば今生きていることが当り前ではない・・・
理想を言えばいつ死んでも後悔しないように生きたい・・・
それは、今、ここで、自分を精一杯生きること以外にないと思います。

そんな格好いい言葉でまとめるなと思うかもしれませんが、私にとって仲間とも言うべき彼らの「死」を我がことと捉えて本気で向き合えば、いつ命が途絶えるか分からない毎日を、我欲の赴くままに漫然と生きているわけにはいかないということです。

本当に大事なのは、そういう生き方ができるとかできないという評価ではなくて、今の自分を精一杯生きようという気持ちを素直に持つことだと思います。


そしてもう一つは、愛すべき家族のために最善の準備をすることです。

我々TKC会計人には「企業防衛」という本来業務があります。
この目的は中小零細企業経営者に万一不測の事態が起こっても、その後会社や遺族が路頭に迷わないように、万全の資金確保が可能な生命保険を付保するというものです。TKCが大同生命保険㈱と提携し、企業向けに独自の保険商品を設計して、我々会員事務所が代理店となって顧問先に推進しています。

保険が好きとか嫌いとか、保険料が高いとか勿体ないとか、そういった時限で行っている業務ではありません。私たちはその企業に最低限必要な「標準保障額」を算出し、それがその経営者にとっての絶対要件であれば、半強制的にでも加入を勧めます。そういう位置付けの業務だからです。

この「企業防衛」は基本的に法人を対象として行っていますが、先の彼らの死が、企業の防衛のみならず、普通の家族が安心して暮らせる環境を確保するために、一個人の「生活防衛」として絶対に怠ってはならない準備であることを教えてくれるのです。

少なくとも私たちTKC会計人は、企業防衛業務を遂行するために、これまで生命保険等に関する専門的なスキルを身に付けてきました。

従って、業務としてのお客様に対してはもちろんのこと、多くの仲間に対しても、機を逸することなく自信を持って最善の準備のためのアドバイスが積極的にできる存在でありたいと思います。



「ただいま~」

「お帰り・・・ お葬式 どうだった?」

帰宅すると神妙な表情のカミさんが問いかけてきた

「ああ・・・息子さんが今にも崩れそうなお母さんを気遣って対応してたよ
若いけどしっかりした息子さんだ!」


「そう・・・ウチの息子達は大丈夫かしらねぇ?」

「まあ俺が死んだら1億入るから お前が全然大丈夫でしょ・・・」

ちょっとアンター!! こんなときに言って良いことと悪いことが…

…フッフッフッ …でもホントに1億入るのよね~?」


「・・・ (怖っ)」