2012年1月29日

魂がもたらす力

「夫が・・・ケイさんが・・・昨日亡くなりました」

正月気分に浸りきっていた年明け三日、耳を疑う衝撃の電話が入った

「そんな・・・ ちょっと待って・・・ どうして・・・」

「急性骨髄性白血病で・・・」

受話器の向こうで号泣しながらも、懸命に話そうとする奥さんの声に
涙がどっと溢れてきて「うんうん」と震える声で応えることしかできない
状況を察したカミさんも私の隣で顔を覆ったまま嗚咽を漏らしている

「こどもたちはみんな 大丈夫?」

やっとの思いで一番気にかかっていたことを訊いてみたが

「うん・・・みんな私より気丈にしてくれて・・・助かってます」

その言葉に幼い頃の子どもたちの姿が浮かび 返事すらできなくなってしまった


2012年が明けてすぐ、かけがえのない友が何の前触れもなく逝ってしまった。

彼は私の幼なじみで、限りある親友と呼べる男の一人である。現代では早期発見すれば治る可能性が高いと言われる病気なのに、緊急入院して一週間も経たないうちに、まだ五十二年という短い人生に突然終止符が打たれてしまった。


彼と私とは不思議な縁で繋がれ、そして不思議と多くの共通点があった。

九州長崎に生まれた私が五歳のとき、親の仕事の都合でここ信州は南松本という地に越してきて転入した保育園の同じクラスに彼がいた。そのまま同じ小学校に入学し、そこでもまた一年間同級だった。

彼は保育園の頃から喧嘩が強くて、二日に一度は日課の如く誰かと喧嘩するような暴れん坊だったが、なぜか私とはウマが合って、喧嘩もせずによくメンコやウルトラマンごっこなんかをして一緒に遊んだものだった。

二年に上がるとき、私のウチが松本市の中央に引っ越したので転校することになった。子どもながらに彼とはもう一緒に遊べないのかなとぼんやり思いながら転校した先の小学校に、今度は彼の将来の嫁さんになる人がいた。そしてクラス替えのあった三年生から卒業するまで私は彼女、要するに彼の奥さんと同級生だった。

彼女とは学区も同じだったので中学校も同窓で、高校も偶然同じ私立高校に進学したのだが、その高校に彼も進学していて、嬉しいことにそこでまた私と彼は同窓生になった。

そして彼はその高校で、たまたま同じクラスにいた将来の嫁さんと初めて出逢ったわけだが、今思えば私はそんな二人の幼少期をそれぞれに周知していたことになる。


高校卒業と同時に彼は蕎麦屋、私は寿司屋とお互い修業の世界に入ったのだが、それぞれの事情で二人とも職人の夢は断念して、二十代半ばに会社勤めをするようになった。

その後二人とも高校時代の同級生と結婚し、お互いに順番こそ違うがほとんど同じ歳回りの二人の息子と一人の娘という三人の子宝に恵まれた。

お互い同じ高校の同級生夫婦だから当然カミさん同士も仲が良く、子どもが小さい頃から家族ぐるみの付き合いを続けてきた間柄である。

彼は仕事の関係でもう二十数年前に埼玉に居を構えたが、ここ十年以上大阪や名古屋での単身赴任を強いられていた。そんな環境の中でも年に一、二度帰郷すれば必ず一報くれて、膝を交えて子どもたちの似通ったエピソードを肴に「分かる分かる!ウチも同じ!」などと大騒ぎしながら二人でグラスを傾けるのが本当に楽しみだった。

同じような家族構成だったこともあり、家族ネタの多いこのコラムも必ず目を通してくれていて、しょっちゅう好き勝手な批評をメールで送ってくれたのだが、私にとっては本当に嬉しい彼の気遣いだった。

しかし、その心温まる批評も、もう二度と受けとることはできなくなってしまった。


彼が酔うと決まって口にしていた話が思い出される。

「子どもたちが思春期から大人に成長する大事な時期に、単身赴任でオヤジが傍にいてやれなかったのに、女房がしっかり育ててくれたおかげで三人とも俺に似なくてまともな人間になってくれて嬉しいよ。あいつに・・・女房にホント感謝しなきゃな・・・」

若い頃は喧嘩っ早くてやんちゃだった彼も、歳を重ねて家族思いの優しい素敵なオヤジになっていた。そんな親としての本当の幸せを、やっと子どもたちから返してもらえる歳まで頑張ってきたその矢先だと言うのに、本当に本当に無念だったろう。


亡くなって五日後に埼玉で行われた告別式。会場に入ると会葬者一人一人に気丈に挨拶していた喪主である奥さんが私を確認したとたん、私に駆け寄り私の名を何度も呼びながら人目もはばからず泣き崩れてしまった。敢えて大きなマスクをかけて目立たないようにしていたが、その憔悴しきった真っ赤な瞳は、何の準備もなく突然身体の一部をもぎ取られたような、猛烈に辛い時間を過ごしたことを容易に推測させた。

葬儀の席で弔辞を読ませていただいた私は、思っていた通り震える涙声になってしまったが、それでも自分なりに精一杯の送る言葉を彼に伝えさせてもらった。

そして、最後に喪主の母親に代わって二十六歳になる彼らの長男が発した会葬者への挨拶が圧巻だった。彼が途中から亡き父に向かい、声を震わせながらも最後まで涙を見せずに訴えた本音の叫びに会場にいた全員が心を揺さぶられ感心し涙した。

早過ぎる父親の死によって、その息子がこれほど強く大きくなるものなのか。亡き父が、自らの死をもって自身の具えていた魂の強さを息子にもたらしたと思わずにはいられなかった。

そしてそれは、いつも傍にいるとかいないとかそんなことは問題ではなく、彼が素晴らしい父親であったことを証明する姿に他ならなかった。

この日親友の魂は、彼の財産である子どもたちの心の中で、確実に新たな産声を上げたのだ。



「素晴らしい挨拶だった! もうおじさんも泣かないからな 頑張ろうぜ!」

葬儀が終わり、会葬者を見送っていた長男に手を差し延べながら明るく言うと

「生前、父がよく言ってました。何か困ったことがあったらあいつに相談すれば必ず何とかしてくれる・・・俺にはそういうすごい仲間がいるんだって・・・今日の弔辞をいただいて、その意味がよく分かりました。こんなに素晴らしい親友を持った父を僕も誇りに思います! 本当にありがとうございました!」

彼は私の手を両手でしっかり握りしめたままそう言うと、それまで精一杯こらえていた涙をその日初めて流した。

もう泣かないと言った端から、彼の涙と言葉にまた泣かされて何も言えなくなってしまった私は、暫し彼の肩を抱いたまま頷くことしかできなかった。


「落ち着いたらみんなでオヤジの仲間に会いに来い・・・必ずだぞ」

最後の最後にやっと絞り出した言葉は届いただろうか・・・待ってるからな

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