「ねえねえ 8月31日に振り込まれてるこの13,000円って何?」
神妙な表情で預金通帳を眺めていた我が家の財務大臣のチェックが入った
「・・・な 何て記帳されてるの?」
何もやましいことはないが 不意を突かれ 少々焦って返した
「え~っと 『マツモトシキンロウシャキョウサイ?カイ?』・・・」
「『松本・資金・老者・恐妻?かい?』って・・・どこで切ってんの
『松本市勤労者共済会』っていうの それ銀婚式のお祝い金だわ」
「へぇ~ すごいじゃん 銀婚式 ・・・って誰の?」
「・・・ウチですけど」
「あら・・・」
正式な結婚記念日は、おそらく1985年5月18日だと思うが、私とカミさんの間では1985年6月1日ということになっている。
私らは今から25年前の5月18日に新婚旅行を兼ねたハワイの教会で二人だけの結婚式を挙げ、その教会から結婚証明書を頂いた。そして帰国後の6月1日、以前私が勤めていた駅前のホテルで、親しい友人やお世話になった先輩方、そして職場の同僚などをお誘いして、80名ほどのこじんまりとした立食パーティを会費制で行い、内々だけの結婚報告をさせていただいた。
私に男としての甲斐性がなかったばかりに、ちゃんとした披露宴も挙げられず、カミさんには白無垢も着せてあげられなかったが、それが当時の私にできる精一杯のセレモニーだった。
親兄弟や親戚にもずいぶん不義理をしてしまったが、そんな形を寛容に認めてくれ、後押ししてくれたカミさんのご両親には心から感謝している。
ただ、正直私ら二人にとってそのパーティは、ホテルのスタッフを始め、多くの仲間の力強い支援と大きな友情に包まれた忘れることのできない素敵なひと時だったので、どちらから言うこともなく結婚記念日は6月1日になっていたのである。
そんな私たち夫婦も今年銀婚式を迎えていた。
事務所で加入している松本市の勤労者共済会から銀婚式のお祝金が給付されるということで、ウチの優秀な総務担当者に申請してもらい、ありがたく金一封をいただいたというわけだ。
因みにこの勤労者共済会だが、冠婚葬祭はもちろん、傷病見舞金や子どもの義務教育入学、卒業への祝金給付などを初めとして、生活資金の融資制度や提携保養施設の特別価格利用など、上手く活用すればサラリーマンにとってはなかなか幅広いサービスが受けられる嬉しい共済制度である。
加入している企業さんも多く見受けられるので、従業員さんにこういった給付制度の申請もれなどがないか、一度チェックしてみることをお勧めしたい。
(http://www.ma-kyousaikai.jp/)
ところで、「結婚記念日」を祝うという習慣の発祥地はイギリスとされているが、日本では明治27年に行われた明治天皇の銀婚式「大婚25年祝典」というのが始まりと言われている。
欧米では結婚1年目から60年目までの間、20年目までは1年ごとに、そして21年目以降は5年ごとに結婚記念日に名称が付けられ、その名称に因んだ贈り物をして祝うのが欧米風の慣習として定着しているという。
クリスマスもバレンタインも、めでたいことは何でも取り込んでしまう日本らしく、結婚記念日に対する欧米の慣習もやっぱり取り込んで、その中で最も定着したのが結婚25年目の銀婚式と50年目の金婚式というわけである。
巷では、銀婚式にはシルバーをあしらったアクセサリーや銀のスプーンなんかを伴侶にプレゼントするのが定番らしいが・・・ とりあえずそこはオフレコにしておこう。
しかし、さすがに25年という歳月は、物体としての人間の姿をこうも見事に変えるものかと言いたくなるくらいに跡形もなく変化させてくれるものである。
ちょうど今、私はリビングのソファに座り、腹の上・・ではなく太腿の上にパソコンを乗せ、黒霧島を舐めながらこのコラムを書き進めているのだが、隣のソファには家事を終え、風呂から上がったスッピンのカミさんが愛犬のトイプーを股座に寝かせ、同じような顔をして気持ちよさそうに寝息を立てている。
この光景は今でこそ日常とはいえ、25年前には私にも決して見せなかった姿であり、それこそ他人様には到底お見せできない状態なのだが、その無防備に安心しきった寝顔におそるおそる近寄って改めてよく見ると、このシワやシミの半分は俺の責任なのかななんて殊勝な気持ちになったりして、そう思えば目の前のおぞましい表情にも愛おしささえ覚えるものである。
目に見える人間の姿は、年月を経れば当然に老い衰える宿命なので、そこにいつまでも変わらぬ若さなんてのを求めるのは相当に無理がある。
せめて目に見えぬハートの部分では、重ねた年月の分だけ強い信頼と感謝の気持ちでお互い繋がっていたいものだ。
まあ25年前には見せられなかった姿を平気で見せられるようになったり、お互いに相手の前では無防備で安心していられるというのがその証と言えるのかもしれないが、物質的な相手の存在は空気のように受け入れ、精神的には相手の存在をしっかり認めているというのが理想的な夫婦の姿なのかなと思う。
私らの結婚記念日から遡ること5年、1980年の6月川崎会計事務所は誕生した。
川崎浩所長若干25歳での税理士事務所開業である。さすがにただものではない。
(詳しくは事務所HP「■業務案内」で)
従って、今年ウチの事務所は創立30周年を迎えたわけである。
私はそのうちの26年をともに歩ませていただいた。振り返れば本当に様々な経験をさせてもらったが、時の経つのはなんと早いものかと感じる。
10周年、20周年の時は、顧客の皆様をお招きして、記念講演会とささやかな懇親会などを開かせていただいたが、今回は年明けに講演会&セミナーを開催し、参加していただいた皆様にちょっとした記念品を進呈する予定にしている。
こんなご時世でもあるので、あまり派手なことはせずに、日頃お世話になっている顧客の皆様への感謝の意を示しましょうというのが我々所員の共通の思いである。
そして企業の寿命は30年と言われるように、事務所も今大きな節目を迎えている。
これまでの30年間でも会計事務所の仕事は激変したと言われている。確かに算盤は電卓に、伝票やルーズリーフはすべてパソコンに移行された。しかしそれは単にツールや方法が変化しただけで、本来会計事務所が果たすべき使命や職責は何も変わっていないと私たちは認識している。
そのうえで顧客の皆さまからさらに期待され、さらに信頼されるパートナーとなるために、これまでの事務所の仕事を再点検し、自ら変化、いや進化させていかなければ生き残れないというのも所員共通の思いである。
クオンプというウェブサービスを利用して、今年から取り組んでいる新しいビジネスモデルもあるので、ひょっとしたら『今までとちょっと違うな』と感じておられる経営者の方もいらっしゃるかもしれない。
私たちは30周年の今年を川崎会計第一章の終着、そして31年目となる来年を第二章の始発と捉え、その第二章では、顧客の皆様に提供する標準的なサービスのハードルを更に高みに上げることで、健全な事業経営に役立つ付加価値を広げていくことを目標に、進化する事務所を目指して動き続ける覚悟である。
ブッ! プップップップッー ププップー・・・ プリッ!
「ちょっと~ FAXみたいなおならやめてよ もう~」
「何十年も聞いてりゃ 俺のおならにも飽きただろうと思って
ちょっとバリエーション変えてみたんだよ」
「そんなもんにバリエーションなんかいらんわー!」
これが25年連れ添った夫婦の日常(・・・ってウチだけ?)
何でも変えりゃいいってもんでもなさそうだ
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