「誤表示ってどういうこと? 明らかに偽装でしょ!」
不法行為に滅法厳しいカミさんが声を荒げる
「それより従業員が無知だったとかトップが平気で言うかね」
謝罪と称した記者会見での情けない言い訳に
ふだん穏やか?なワタシも流石に呆れかえった
「中国産混ぜたそばを信州蕎麦って表示してたんだってよ
バカにするのもいい加減にしろってもんだよね!」
ご当地が誇る名産まで偽装されたとあって
正義の味方の怒りは頂点に達するのだった( ̄▽ ̄;)
先般、関西を代表する阪急阪神ホテルズが運営する八つのホテルレストランで、メニュー表示と異なる食材が使用されていたというショッキングなニュースが飛び込んできました。
しかもその虚偽表示された料理の数々は、過去7年以上にわたり約8万人近いお客様に提供されてきたといいます。
今回この阪急阪神ホテルズの偽装問題の発端となったのは、今年6月、東京はグランドプリンスホテル高輪などを運営するプリンスホテル系列4ホテルが、利用客からの指摘を受けて調査した結果、計18施設27店舖で66品目の虚偽表示が発覚したことに起因します。
これを契機に阪急阪神ホテルズが系列ホテルを調査してみたところ、今回の問題が発覚したとのことです。
冷凍保存の魚を「鮮魚」であるとか、普通の青ネギ白ネギを「九条ネギ」であるなど、その虚偽表示の内容はマスコミで散々報道されているので割愛したいと思いますが、私がホントに呆れてしまったのはこの事実に対するホテル側の対応でした。
事件を公表した今月22日、先ず記者会見に臨んだのは、代表取締役社長ではなく、同社の総務人事部長と営業企画部長でした。
事の重大さをどう受け止めていたのか分かりませんが、会社の最高責任者である社長が、お客様を欺いているのではないかという疑惑を含んだ大きな問題に姿を現さない、この初動対応から既におかしいと思われて然るべきです。
そして会見に臨んだ総務人事部長は「メニュー表示と食材が合っているかチェックする意識が欠落していた」とか「担当者間で意思の疎通ができていなかった」など、意識や意思疎通の欠落による誤表示で、意図的な偽装ではないことを強調しました。
しかし、もう一方の営業企画部長は、調理、配膳担当の従業員らが虚偽表示を知っていながら黙認していたケースもあったことを明らかにし、その上で最後に言った言葉が「お客様の反応を気にするあまり(メニュー表示の)筆が滑ってしまったのではないか」でした。
「筆が滑る…?」本人は釈明のつもりで言ったようですが、この場でよくそんな言葉が出てくるなと、この会社の管理職クラスのレベルの低さに驚いてしまいました。
当然に彼らのそんな会見は、私だけでなく世間から強烈な批判を受け、二日後の24日、これはいかんとばかりにやっと社長が記者会見に臨んだと思ったら
「信頼を裏切ったお客様には心よりお詫び申し上げます」と言った舌も乾かぬうちに
「原因は従業員の認識、知識不足にあり、意図的に表示を偽って利益を得ようとしたのではなく、あくまで誤表示だと思っている」と言い放ちました。
更に「誤表示を知りながら放置した事例はない」と前日の企画部長の発言を撤回し、「従業員の法令順守に対する自覚が足りなかった。その責任はそれを放置した会社側にもある」と、従業員に大半の責任があると受け取れる発言を繰り返しました。
会社の最高責任者である社長が、自社の従業員に責任転嫁する発言を平然と述べるその態度に、私は開いた口がふさがりませんでした。
そして、その後は皆さんもご存知の通り、同社には消費者からの怒りの電話などクレームが殺到し、こういった社会の批判に後押しされる形で、結局今月28日に最高責任者である社長が辞任に追い込まれるという事態に至りました。
今回の阪急阪神ホテルズの対応を整理してみますと
①会社内で問題が発覚し、管轄する消費者庁に報告したのが今月7日。
②それから二週間も経った22日に同社のホームページのみで公表。
③世間の批判を受けて急遽開いた記者会見に出席したのは部長クラス。
④一人は「偽装」ではなく「誤表示」で意図的ではないと強調。
一人は従業員が黙認していた、筆が滑ったなどと矛盾する発言。
⑤2日後にやっと社長が記者会見に臨むが、「責任は社員にある」「黙認していた事実はない」と更に混乱を招く発言。
⑥この態度に反省と謝罪の念がないと痛烈な社会批判を浴びる。
⑦4日後「偽装と受け止められても仕方ない」と社長が引責辞任。
この結果、最後は社長が辞める、利用者にお金を返すといった行動に出たわけですが、そもそも何故この会社に虚偽表示問題が起こったのか、その真の原因を考えてみると、経営陣が自らの保身を優先し、後手後手の対応しか採ることができなかったという、脆弱な経営体質に拠るものと言う他ありません。
5年前、同じ産地偽装問題などで廃業に追い込まれた老舗船場吉兆も、記者会見でパート従業員が独断でやったなどと信じられない嘘の発言をした結果そうなったことを、同業者として教訓を得ながら見ていたはずなのに、此度同じ轍を踏んで信頼を失墜してしまった阪急阪神ホテルズの再建も、きっと相当に厳しいものになるでしょう。
私たち一般消費者は、このような問題が起こったときに本当に知りたいことはその根っこにある事実です。今回の阪急阪神ホテルズの虚偽表示問題でも、仮にその根っこの部分に彼らが否定していた「意図的にお客様を偽って利益を得ようとしていた」事実がもしあったのなら、最高責任者である社長が真っ先にその恥ずべき事実を正直に公表し、すべての責任は己自身にあると表明したうえで社会に対して命を懸けて謝罪していたら、同じ引責辞任をしたとしても、会社のその後の経営展開は大きく違ったものになるのではないかと思うのです。
私たちの仕事は、実はそんな心のせめぎ合いと常に闘っている経営者の方々とのお付き合いです。時には「このくらい大丈夫」とか「このくらいみんなやってるよ」と、誘惑に敗けそうになる局面に対峙することもあります。
そんなとき、自分の根っこにある本性を思い出して欲しいのです。
人を欺いてもいいなんて本気で考えてる人間なんて絶対にいません。
だから、人は心の根っこに余計なものを持たないで
いつも空っぽにしておくことが大事なんだと思います。
公明正大!正々堂々! その方が人生気持ちいいじゃないですか!
「もう何~ この社長とか言う人 あり得ないよね~」
「まあ 辞めりゃぁイイってもんじゃないけどね…」
「中国産を信州そばって ホント許せないわ!」
「え? まだそこ? あんまこだわらない方がいいよ」
「え~ だって腹立つでしょ!」
「時は流れるんだから 心も一事に留めないでリセットしてかないと」
「ふ~ん そういうもん?」
「ああ そういうもんだ(笑)」
2013年10月6日
差し向かい
「ごめ~ん お待たせしますた(笑)」
夕方急な仕事が入り 待ち合わせの時間に
小一時間遅れて 娘がやってきた
「おお お帰り~ しょっちゅう予定外の仕事入って大変だなぁ」
「うん まあそういう業界だから仕方ないよ」
業界などという言葉をさらっと発するようになった娘と
彼女が住む神奈川のとある町で久しぶりのデート?である
「さあ どこに行く? 寿司にする? それとも焼き肉か?」
「海鮮でもいい? お父さんを連れてきたい店があるんだけど…」
「へ~ 海鮮屋さんかぁ いいねぇ じゃそこ行こう」
娘に飲み屋へ連れてってもらう歳になったんだな~なんて(笑)
先月、照明技師の仕事をしている娘が住む神奈川へ行ってきました。
娘と二人だけで食事をしながら時を過ごすのはこれが二度目です。
最初は今から一年半前、彼女の就職先が決まって専門学校を卒業し、帰省していた我が家から都会へ旅立つ直前でした。
寿司が喰いたいというので、いつもの回転する店ではない馴染みの寿司屋に赴き、二人でカウンターに座ってやたら旨くて高い肴をつまみに新鮮な時間を共有したことを覚えています。
そのときは、これから社会に出る娘に対して、仕事への向き合い方であるとか、一人暮らしをする上での一般常識のような話をしていたので、話し手の親父と聞き手の娘というシチュエーションでした。
二度目の今回は、逆に娘の方から現在の仕事の悩みであるとか、恋愛や結婚に対する考えなど色んな話が次々に飛び出して、明らかに話し手の娘と聞き手の親父と言った構図になっていました。
しかし、娘とのこの二回のデートは私が想定していた通りの流れでした。
私は子どもたちがそれぞれ家庭を持つまでは、一対一の差し向かいでじっくり対話する時間を年に一度は持つようにしようと思ってそうしてきました。
そのきっかけは、今から七年近く前、やはり就職が決まった長男が専門学校を卒業する直前に、当時二十歳になった息子と初めて酒を酌み交わしたときのことでした。
(詳しくは2007年3月「乾杯」http://dairicolum.blogspot.jp/2007/03/blog-post.html)
初めは単純に息子と酒を飲むことを夢に見ていたオヤジの我儘を叶えるだけのつもりだったのですが、このとき長男が私に向かってよく話すことに先ず驚きました。
私の中では無口な高校時代の印象のままフリーズしていただけに、うるさいくらいによく喋っていた幼い頃に戻ったような饒舌ぶりに本当にびっくりしたものです。
そして時間が経つに連れ、「お母さんには話してないんだけど」や「そのときお父さんはどう思ってたの?」のように、私が思いもよらなかったことや、そこは話したことなかったというような会話が途切れることなく続くのです。
当時の私にとってそれはまったく想定外のことでしたが、帰りの電車に揺られながら、親子にとってとても貴重な時間だから、子どもたちとは毎年この差し向かいを続けて行こうと思うようになっていました。
人はどんなに気の置けない仲間内であっても、それが三人以上のグループになると本当の本音は話さないものです。
話さないというより、通常グループの対話というのは意図するとしないとに関わらず、何らかのテーマに対する差し障りのない範囲での個々の意見に喜怒哀楽するという形で成り立つので、本音を話す機会、必要がないといった方が正解かもしれません。
それは家族の場合でも同じで、全員集合して一杯飲りながらワイワイやるのはとても楽しいひとときであることは間違いないのですが、大人になるに連れ、夫々が社会に出てからの経験に基づく自信や不安を持ち合わせるようになるので、家族といえども、いや家族だからこそ心配かけまいとか恥ずかしいからという心理が働き、全員がそろうような場では敢えてその部分には触れないようになります。
これは秘密を持つとか、正直ではないという問題ではなく、グループだからこそ話せることもあれば、一対一の差し向かいでなければ話せないこともあるという至極当然のことなのです。
そして差し向かいの場面でこそ、人は自身にとって大切な話をするものです。
ビジネスの世界でも、上司と部下の差し向かいでの面接を社内コミュニケーションの一環として取り入れている企業は数多くあります。
ただ、このビジネスの世界での面接は、上司と部下の信頼関係が成り立っていないと所詮グループ対話の域に留まり、差し向かいから生まれる本来の効果は期待できないのではないかと思います。
しかし一方で、互いの信頼関係を育む最たる方法が、その差し向かいでの対話であることも間違いありません。
親子でも会社でも友達の関係でも、基本は普段からどんな関係性を育んでいるかが問題です。日々の挨拶や、何気ない一言の積み重ねを土台にした差し向かいの時間を大切にすることで、人と人との良好なコミュニケーションは培われていくのではないでしょうか。
「近くのホテルとれなかったんだが お前のアパート泊まれるか?」
年頃の娘ゆえちょっと気を遣ってビジネスホテルを当ったが
連休中ということもあってどこも空きがなかった
「大丈夫だよ 別にホテルなんかとらないでウチに泊まればいいじゃん」
娘にとってはオヤジの気遣いなど余計なお世話だったようである
「そうか じゃ一晩厄介になるけど頼むな」
そして 帰宅した私にカミさんが一言
「父親を自分の部屋に絶対入れない子も多いんだよ~
ウチはお父さんのことを信頼してるってことでしょ」
「あら そういうこと?」
夕方急な仕事が入り 待ち合わせの時間に
小一時間遅れて 娘がやってきた
「おお お帰り~ しょっちゅう予定外の仕事入って大変だなぁ」
「うん まあそういう業界だから仕方ないよ」
業界などという言葉をさらっと発するようになった娘と
彼女が住む神奈川のとある町で久しぶりのデート?である
「さあ どこに行く? 寿司にする? それとも焼き肉か?」
「海鮮でもいい? お父さんを連れてきたい店があるんだけど…」
「へ~ 海鮮屋さんかぁ いいねぇ じゃそこ行こう」
娘に飲み屋へ連れてってもらう歳になったんだな~なんて(笑)
先月、照明技師の仕事をしている娘が住む神奈川へ行ってきました。
娘と二人だけで食事をしながら時を過ごすのはこれが二度目です。
最初は今から一年半前、彼女の就職先が決まって専門学校を卒業し、帰省していた我が家から都会へ旅立つ直前でした。
寿司が喰いたいというので、いつもの回転する店ではない馴染みの寿司屋に赴き、二人でカウンターに座ってやたら旨くて高い肴をつまみに新鮮な時間を共有したことを覚えています。
そのときは、これから社会に出る娘に対して、仕事への向き合い方であるとか、一人暮らしをする上での一般常識のような話をしていたので、話し手の親父と聞き手の娘というシチュエーションでした。
二度目の今回は、逆に娘の方から現在の仕事の悩みであるとか、恋愛や結婚に対する考えなど色んな話が次々に飛び出して、明らかに話し手の娘と聞き手の親父と言った構図になっていました。
しかし、娘とのこの二回のデートは私が想定していた通りの流れでした。
私は子どもたちがそれぞれ家庭を持つまでは、一対一の差し向かいでじっくり対話する時間を年に一度は持つようにしようと思ってそうしてきました。
そのきっかけは、今から七年近く前、やはり就職が決まった長男が専門学校を卒業する直前に、当時二十歳になった息子と初めて酒を酌み交わしたときのことでした。
(詳しくは2007年3月「乾杯」http://dairicolum.blogspot.jp/2007/03/blog-post.html)
初めは単純に息子と酒を飲むことを夢に見ていたオヤジの我儘を叶えるだけのつもりだったのですが、このとき長男が私に向かってよく話すことに先ず驚きました。
私の中では無口な高校時代の印象のままフリーズしていただけに、うるさいくらいによく喋っていた幼い頃に戻ったような饒舌ぶりに本当にびっくりしたものです。
そして時間が経つに連れ、「お母さんには話してないんだけど」や「そのときお父さんはどう思ってたの?」のように、私が思いもよらなかったことや、そこは話したことなかったというような会話が途切れることなく続くのです。
当時の私にとってそれはまったく想定外のことでしたが、帰りの電車に揺られながら、親子にとってとても貴重な時間だから、子どもたちとは毎年この差し向かいを続けて行こうと思うようになっていました。
人はどんなに気の置けない仲間内であっても、それが三人以上のグループになると本当の本音は話さないものです。
話さないというより、通常グループの対話というのは意図するとしないとに関わらず、何らかのテーマに対する差し障りのない範囲での個々の意見に喜怒哀楽するという形で成り立つので、本音を話す機会、必要がないといった方が正解かもしれません。
それは家族の場合でも同じで、全員集合して一杯飲りながらワイワイやるのはとても楽しいひとときであることは間違いないのですが、大人になるに連れ、夫々が社会に出てからの経験に基づく自信や不安を持ち合わせるようになるので、家族といえども、いや家族だからこそ心配かけまいとか恥ずかしいからという心理が働き、全員がそろうような場では敢えてその部分には触れないようになります。
これは秘密を持つとか、正直ではないという問題ではなく、グループだからこそ話せることもあれば、一対一の差し向かいでなければ話せないこともあるという至極当然のことなのです。
そして差し向かいの場面でこそ、人は自身にとって大切な話をするものです。
ビジネスの世界でも、上司と部下の差し向かいでの面接を社内コミュニケーションの一環として取り入れている企業は数多くあります。
ただ、このビジネスの世界での面接は、上司と部下の信頼関係が成り立っていないと所詮グループ対話の域に留まり、差し向かいから生まれる本来の効果は期待できないのではないかと思います。
しかし一方で、互いの信頼関係を育む最たる方法が、その差し向かいでの対話であることも間違いありません。
親子でも会社でも友達の関係でも、基本は普段からどんな関係性を育んでいるかが問題です。日々の挨拶や、何気ない一言の積み重ねを土台にした差し向かいの時間を大切にすることで、人と人との良好なコミュニケーションは培われていくのではないでしょうか。
「近くのホテルとれなかったんだが お前のアパート泊まれるか?」
年頃の娘ゆえちょっと気を遣ってビジネスホテルを当ったが
連休中ということもあってどこも空きがなかった
「大丈夫だよ 別にホテルなんかとらないでウチに泊まればいいじゃん」
娘にとってはオヤジの気遣いなど余計なお世話だったようである
「そうか じゃ一晩厄介になるけど頼むな」
そして 帰宅した私にカミさんが一言
「父親を自分の部屋に絶対入れない子も多いんだよ~
ウチはお父さんのことを信頼してるってことでしょ」
「あら そういうこと?」
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