「あ~ 私もいよいよ来月五十か~ なんだかな~」
2月早生まれのカミさんが感慨深げにボヤいた
「人間五十にして天命を知るっ…てか?」
「何それ?」
「論語だよ 聞いたことない?
人間五十にもなったら 自分の役割をわきまえろってことよ」
「役割ね~ テニスに…温泉に…まだなんか見つけろってこと?」
「き・・君は・・・」
『吾 十有五にして学を志し 三十にして立ち 四十にして惑わず
五十にして天の命ずるを知り 六十にして耳順(したが)う
七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず』
『論語』~為政篇~で孔子が自身の生涯を語ったとされる有名なことばです。
ここから、15歳を志学(しがく)/30歳を而立(じりつ)/40歳を不惑(ふわく)
50歳を知命(ちめい)/60歳を耳順(じじゅん)/70歳を従心(じゅうしん)と、
現代ではそれぞれの年齢や年代を現す言葉としても確立しています。
昨年4月、私は既に「知命」に突入していましたが、先日カミさんのボヤきを聞くまでは『天の命ずるを知る』ことをじっくり考えることもなく、2010年という新しい年を迎えておりました。
まごまごしているとあと数ヶ月でまた一つ無駄に歳を重ねてしまうので、この辺で一度しっかり抑えておきたいと思います。
論語の解説書などを当たると『天命を知る』とは「自分の人生における運命・使命が何なのかがわかる。つまりどんな天命をもってこの世に生を受けたのかを知ることである。」と書かれており、また「孔子は、政治家を目指して初期の頃一時的に諸侯に仕えたものの、その願いは叶わなかった。つまり孔子に政治家の天命はなかったのである。孔子は、50歳になって天命を知ったと一般的に解釈されているが、実際には、この自身の経験から人間にはどうすることもできない持って生まれた運命があることを「天命を知る」という言葉で著したのではないかと考えられる。そして孔子は『命を知らざれば以て君子為ること無きなり』と論語の最後で語っている。これは「人は天命を自覚して全霊で生きなければ、決して君子などにはなれない」ことを意味している。」と説かれています。
以下は私見です。
ここでの「君子」というのは、当時孔子自身が成ろうとした政治家を指した言葉のようですが、置き換えれば「自分のあるべき姿」であり、ここでいう政治家のような特定の職業や地位などとは捉えない方がよさそうです。
そして、先の解説からすれば、孔子は自分が目指していた君子になれなかったことで、誰にでも「天命」があることを悟り、人はその「天命」を自覚して精進しなければ、本来の自分のあるべき姿を見つけることはできないということを言いたかったのではないかと思われます。
これは一体どういうことなのでしょう?
私はこう考えます。
例えば「社長になりたい!」「社長になりたい!」といくら騒いでみても、その人に経営者として必要なリーダーシップやカリスマ性がなければ、仮に社長になったとしても、おそらくその会社はうまくいかないでしょう。しかし、もしその人に、物事をコツコツと確実に遂行する能力が誰よりもあったとしたら、ひょっとしたら経理部長とか秘書という立場で、なくてはならない社長の片腕になるかもしれません。
要するに「天命を知る」とは「己を知る」、換言すれば「自分らしさとは何かを自覚する」ことに他ならないのではないでしょうか。
若い頃の私は、いつか自分の店を持ちたいという夢を追い求めていました。そして、飲食店のカウンターに立って、客あしらいをすることが俺には一番向いている、俺が店をやれば絶対流行るなんてことまで本気で考えていました。
しかし、それから紆余曲折本当に色々ありましたが、結局は自分で店を経営することはできず、様々な縁を紡いで今はこの事務所でもう25年も仕事をさせてもらっています。
実は、ここまでお世話になるきっかけとなった強烈な縁が私にはありました。
もう10年近く前のことですが、TKC中央研修所顧問でありウチの事務所の顧問にもなっていただいている、千葉県の臨済宗妙心寺派妙性寺住職で我々職員が師と仰ぐ、高橋宗寛和尚(詳しくはhttp://www.tkcnf.or.jp/19ao/kaityou2012.html リンクしていないのでコピー&ペーストでご覧下さい)から頂戴した言葉です。
「世の中にはトップではなくて、補佐役とか黒子に徹した方がより力を発揮できる人がいる。君はそっちのタイプの人間じゃないかな… 歴史上最高の補佐役と言われた秀吉の弟、豊臣秀長の本を一度読んでみるといい。」
私はその日の仕事帰りに書店に立ち寄り、『豊臣秀長~ある補佐役の生涯~』という堺屋太一著の上下巻を手に入れて、夢中になって一晩で読み切りました。
読み終えたとき、秀長の魅力に引き込まれると同時に、それまで考えもしなかった『トップに立つことだけが人生じゃない』という人生観が私の心に強く残りました。
その感覚は、この業界はいつかは独立しなきゃいけないんだろうなぁ・・などと考えていた当時の私の先入観や葛藤をすっきり消し去ってくれたことを覚えています。
五十にして・・・できもしない口先だけの理想や蘊蓄だけを語ることはやめ、真の自分らしさとは何かを自覚したうえで、その「らしさ」を活かしきって生きる、これが「天命を知る」ことだと確信します。
ただ、言うは易し行うは難しです。なぜなら一つ間違えると自分らしく生きることは、自分の好きなように、自分の思うままに生きることと勘違いしてしまうことが往々にしてあるからです。
これは十分に注意しなければいけません。周囲の人々とのコミュニケーションをしっかりとって、一人よがりにならないようにしていきたいものです。
因みにこのコラムも今回でちょうど50本目になりました。
ほんの僅かではありますが、お客様や友人などから「毎月楽しみにしてるよ」と仰っていただく声も聞けるようにもなりました。
そんな応援の声を支えにしながら、私の文章能力も追いつかない中、月一回の更新で一杯一杯続けておりますが、それでも節目の“50にして天命を知る”ということで、このコラムの役割もしっかり考えながら、これからも自分らしく続けて行きたいと思っています。
今後とも何卒ヨロシクお願いいたします!
0 件のコメント:
コメントを投稿