「お~い 洗面所のタオルどした?」
洗面所のタオル掛けにタオルが掛かってない
「あ~なかったっけ・・・新しいの出しといて~」
まったく平気な感じでカミさんの声が飛ぶ
「お前が最後に使った人?」
「そうだけど・・・」
それが何か?という感じのスッとぼけた声が再び飛ぶ
「なんですぐ換えとかないかな~」
「だから・・・掃除の途中だし・・・洗濯もあるし・・・」
きたきた・・・『ゴメン!悪いけど』程度の言葉を頭に付けて
『掛けといて』って言っとけばサラッと片付く話なのに・・・
「掃除洗濯とタオル換えないのとどういう関係があんの・・・
古いの片付けたら新しいのを用意して一つの仕事が終わりだろ?」
「なに仕事の終わりって・・・タオルくらいでホントおおげさなんだから」
「あのね~(一事が万事なんだけどなぁ)・・・」
恥ずかしながら我が家ではこんな件がしょっちゅうあります。
確かに相手はたかが洗面所のタオルです。
これがゴミ箱のゴミ袋のときもあります。
シャンプーやティッシュペーパーのときもあります。
「おまえら使い終わったら次出しとけよ!」が口癖になってしまうほどです。
細かいと言われればそれまでですが、日常よくあるこんなことが結構大事なことではないかと私は思っています。
どんな仕事にも終わりがあります。でも、その仕事の終わりがどこと捉えているかは人によってかなり違いがあるようです。
以前ウチの事務所でも、「皆が共通して使用する書類のストックが最後の一枚になったらストック分のコピーをとってから使いましょう」という改善提案が出たこともありました。
ほとんどの方は、そんなの至極当り前だと思うことでしょう。
もちろんウチのスタッフにしても、言われれば「そんなの常識」と思う話です。
しかし、現実に使おうと思ったサラの書類が一枚もなかったから出た改善です。
しかも、その事実が一度や二度ではなかったから敢えて提案されたのだと思います。
聞けば当り前と思うことでも実際にできないのは何故でしょうか?
ベタですが、これは「思いやり」という意識の問題に他ならないと思います。
これまで例に出した些細なことは、どれも機械的に「こうなったらこうしましょう」と規則付けるようなことではないのです。よくモラルという言葉でも形容されますが、その真意は普段からどれくらい周囲に目と気持ちを配り、どのくらい相手の立場でものを考えることができるかという人間力以外の何ものでもないと思うのです。
少なからず本当に思いやりのある人というのは、次にそれを使う人、それを見る人のことを普通に頭に置きながら仕事を進め、締め括ることができるような気がします。
仕事のフィニッシュがどこなのか、その捉え方は結局自分主体の目線なのか、それとも周囲主体の目線なのかで決まってくるのかもしれません。
先ほどから「仕事」という言葉で表現しているので、フィニッシュの重要性をビジネスの世界だけに傾倒されると困るのですが、私が「ここまでやってフィニッシュ」が重要だと思うのは、繰り返しますが実生活での自分がとっている行動です。
ビジネスにおける一般的な「仕事」は、当初から求められた一定の出来栄えをそれぞれに任された責任と専門性に基づいて遂行することが多いので、そのフィニッシュはある程度画一的なものとなり、ここで言う「思いやり」を伴ったフィニッシュとはちょっと違う次元の話です。
ただ、実生活でとる行動のフィニッシュが、周囲に対する思いやりを持って締め括ることができる人は、ビジネスにおける仕事の出来栄えもまた優れていると確信しているのも事実です。
「髪の毛始末しろコラ!」
毎朝洗面台で朝シャンするナルシスト小僧を一喝
「アッごめん・・・」
「テメーの抜け毛を一体誰に片付けさせるつもりだ!
次の人が気持ちよく使えるようにしてフィニッシュだろ!」
「ハイ!」
細かろうが何だろうが言い続けるのだ
0 件のコメント:
コメントを投稿