「朝練あるんでしょう~ 早く準備しなさい!」
毎朝恒例のカミさんと娘のバトルが始まった
「いまやってるって~・・・ウッサイなーもう」
高2の娘は生意気にも最近結構言い返す
「自分で7時って言ったらちゃんと7時に出れるようにしなさい!」
「分かってるよー 少しくらい遅れたってアタシだけじゃないんだから・・・」
朝刊のスポーツ欄を見ながら朝食をとっていた私もさすがにこの一言は通せない
「ちょっと待て 自分だけじゃねぇから遅れてもいいってのか?」
「・・・」
「どうして時間守らなきゃいけねぇかまだ分かんねぇのか?」
「・・・」
「ッタクふざけたこと言ってねぇでチャリブッ跳ばしてさっさと行けー!」
こんな私でも真剣に叱ることもある・・・決して紳士的にとは言えないが・・・
改めて言うのもはなはだ恐縮ではありますが、どんな会社にも社訓に「時間厳守」、どんな家庭にも家訓に「時間を守りなさい」と言われるくらい、我々の生活の中で時間を守ることはとても大切であると位置付けられています。
ご承知とは思いますが、私たちの事務所では月次巡回監査という業務で、毎月約束した日の約束した時間に顧客の皆様の事業所やご家庭に訪問して税務会計に関するチェック、経営者や経理担当者の方々との相談、また経理指導や経営支援といった仕事をさせていただいています。本来の営業等でお忙しい皆さんの貴重な時間を割いて行うわけですから、こちらの一方的な都合でその時間を違えるようなことは基本的にあってはなりません。
勿論やむを得ない突発的な事情が生じることもあるので、その場合は事前にアポを取って予定を変更していただくという処置をとることは言うまでもありません。これらはビジネスマンとしてあまりにも当然の対応であることに反論はないと思います。
時間を守るということで脳裏に焼き付いているエピソードが私には2つあります。
ひとつは20年ほど前に取引先金融機関の担当の方から紹介された新規のお客様を初期指導で訪問したときのことです。
そのお客様は一人親方の建築業を営む個人事業者で、奥さんと二人で毎日忙しく仕事を切り盛りされている方でした。紹介してくれた金融機関の担当者に同行して先ずはご挨拶を兼ねて訪問したところ、一通りご相談させていただき早速その日に契約することになりました。
「それでは今月〇日の午前9時に先ほどお話した初期指導に伺います」と次回の予定を告げると、奥さんは壁掛けのカレンダーのその予定日にマジックで大きく“会計事務所 AM9時”とメモされました。私はそれを見届けながらその日は帰りました。
そしてお約束した当日、「おはようございます!」とそのお客様の家の玄関を開けたとき、ちょうど廊下の壁に掛けられた柱時計が“ボーン ボーン”と午前9時の時報を叩いていました。リビングから飛び出してきた奥さんは、『すごい!時間ピッタリ!あたしね、時間に正確な人大好きなの』と仰いました。そして暫くこの業界は時間にルーズな人が多くて嫌気がさすというようなお話を懇々とされていました。
恥ずかしながら当時の私はそこまで時間に対して厳格な意識を持ち合わせていたわけではありません。この日も時間ピッタリに伺ったのは正直たまたまです。
しかし、このたった一つの偶然で結果私はそのお客様からいきなり絶大な信頼を得ることとなり、一昨年高齢化による事業縮小に伴って契約を解除させていただくまでずっと良好な信頼関係を保ったままお付き合いすることができたのです。
私はこの経験から“時間を守ることは、相手との信頼関係を育む出発点である”と理解しました。
そしてもうひとつは、やはり20年以上前に家内のオヤジさんから言われた一言です。
ウチの長男が生まれてすぐだったと思いますが、オヤジさんが親戚を集めて長男のお披露目食事会をやるからと、事務所近くの四川料理のお店を予約してくれたときのことです。
その日の朝、いつものように事務所に出かけるとき「それじゃ今日6時だからお願いね」とカミさんに言われ「ハイヨ」と軽く返して家を出たのですが、私なりの精一杯の仕事終わりが約束の6時ギリギリになってしまいました。ただその時の私の意識は、正直『ここから10分・・・まあ仕事だからしょうがないよな』でした。
「いや~遅くなってすみません」さも急いできましたという雰囲気を醸し出しながら部屋に入った私に、既に乾杯を終え食事を始めていた皆さんは、口々に「お疲れさま~」「忙しいそうだね~」などと声をかけてくれたのですが、オヤジさんの一言は
「いくら仕事だって約束した時間に間に合わせられないようじゃだめだ。みんなが待ってる間の時間はあんた一人のために使われてんだから・・・」でした。
実は家内のオヤジさんという人は、それはそれは時間に対して人一倍厳格な方で、約束した時間の遅くとも5分前には必ずその場所に到着し、その時間になるまで車中で待つなどして時間通りに赴くような人なのです。それは80歳を過ぎた今なお変わることはありません。
私はこの経験から“時間に遅れることは、相手の時間を奪うこと”だと理解しました。
さて、時間は守ることも勿論ですが、どう使うかも極めて重要です。
言うまでもなく時間というものは無限ではありません。仕事や勉強に打ち込む時間、家族や友人と過ごす時間、遊びや趣味に興じる時間、何をしていてもその瞬間瞬間で確実に無くなっていくものです。
私も来年で生を受けて50年になりますが、残された生きる時間は平均寿命からすれば約30年、それは10,950日、262,800時間です。そしてその時間は止まることなく刻一刻と削られていきます。
この私の場合の26万時間が長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれだと思いますが、例えば時間をお金に換算すれば、今財布には26万円あるけれど1日24円ずつ確実に消費されるということになります。どうでしょうか?
まあ焦りはしないまでも、少なくとも『全然大丈夫じゃん』と安心してはいられない気がします。とにかく決して無駄使いはできません。
日常の仕事において、皆さんの貴重な時間を奪うことのないように、時間の重要性を初心に戻ってシッカリ認識し直して日々業務に当たりたいと思います。皆さんももし私が約束の時間に遅れたりするようなことがあったら遠慮なく皮肉って下さい。
今回は加齢を原因とするしょうもない慣れが出ているのか、最近ちょっと時間に対してルーズになっている私自身に対しての自戒の念を込めて書きましたので・・・
「お父さ~ん ちょっと起こしてきて~」
(おいおい今日もかよ・・・)
「起きろー!遅れた分だけ仲間の時間を取っちまうってことがまだ分かんねぇのか!このバカタレがー!」
と、分かったように子どもを叱ってる場合ではない・・・
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