今回はちょっと重い話で恐縮ですが・・・
「青天の霹靂」という言葉があります。
病床に伏していた中国の有名な詩人が突然起き出して筆を走らせ、そのとき表現した「青天、霹靂を飛ばす」という言葉が語源と言われています。元々はその詩人の鬼気迫る姿から、筆に勢いがあることを示す言葉だったそうです。その由来からすると、本来良いことがあった時に用いられるはずなのですが、現代では“雲一つない澄んだ青空に突然雷が鳴る”という意味からでしょうか、まったく予想外のことやとんでもない事件が突然自分の身に降りかかるという最悪の状況を表す場合などにもよく使われます。
人生には本当に信じられないことが起こるものです・・・
春本番、もうすぐゴールデンウェーク突入というある日
高校時代の親友から一本の電話が入りました。
住宅ローンの返済が長期間滞ったために自宅が競売に掛けられる。しかも、家計も家庭もすべてを安心して任せてきた奥さんが、消費者金融から多額の借金をしていたというのです。
「うそ・・・」 私は絶句してしまいました。
今まで仕事もろくにせず“飲む、打つ、買う”と好き勝手な生活をしてきた結果だというのなら、いくら親友とはいえ自業自得だから仕方ないとしか思えないでしょう。
しかし彼は、高校卒業と同時に都会の大手一流企業に勤務し、高卒という逆境に負けることなく、現在我々の仲間内ではおそらく最高の収入とポジションを、持ち前の明るい人柄と人一倍の努力で培ってきた男なのです。
勿論、私たちは昔からの家族ぐるみの付き合いですから、彼の奥さんのこともよく知っています。優しくてとてもしっかりした芯の強い女性で、家族をこよなく愛し大切にしてきた素敵な奥さんです。
そんな順風満帆の家庭だったはずなのに一体何があったというのか・・・
とにかく事態が緊迫していたので、私は彼の今後の仕事に支障が出ないよう会社に事情を説明して、同時に弁護士への相談ができるよう斡旋してもらうこと。サラ金からの借金の詳細を明らかにして、その条件や保証の関係を調べて対応することなどを進言しました。
翌日彼から、とりあえず会社側の理解は得られたので仕事の方は大丈夫であること、サラ金へも直接行って今後の対処を相談した結果、今すぐどうこうという心配はないとの連絡がありました。
「なぜ?」という疑問を残しつつも、私はひとまず胸をなでおろしました。
そして数日後、とにかく会って話したかったと一人帰郷した彼とグラスを傾けながら、今回のいきさつをじっくり聴きました。
彼の話を聴いた私は、家庭や夫婦を繋いでいくことの難しさ、怖さを改めて考えさせられました。
結局彼らに決定的な「何が」は、なかったのです。
日常の生活の流れの中、どこかでほんの少しだけ咬み合わなかった歯車に気付かずに、それが長い年月をかけて徐々に大きな狂いとなって、遂にその歯車が止まってしまったのです。
多忙を極める仕事、妻に対する全幅の信頼という自分に都合のいい言い訳を楯にして家庭を顧みなかった夫。
できる妻であるために、本当は寂しくそして大変だったのに、虚勢を張って大丈夫と言い続けた妻。
夫は家族を守るために、妻は夫の心強い伴侶となるために、二人のスタートはきっと間違っていなかったはずです。
しかし、社会にもまれながら自分たちの生活がある程度軌道に乗ってきた頃から、お互いの気持ちの軌道にズレが生じ、どこかで相手に対する気遣いが薄れ、安心が慢心に変わっていたことに気付くことができなかったのだと思います。
この間、一緒に仕事でもしていなければ夫と妻の過ごす時間は、その環境や関わる人々がまったく違う中で流れていきます。でも本人にとっては、その環境や状況が当り前の日常に他なりません。その自分にとっての当り前が、相手にとっても当り前と思ってしまうところに、僅かなほころびが生じる原因があるのかもしれません。
彼は言いました
「お前に電話した前の晩、女房は死に場所を探してたんだ・・・俺に合わせる顔がないって・・・でも女房は悪くない、全て俺の責任だ・・・あいつの気持ちを察してやれずにそこまで追い込んでしまった、人間としての俺の未熟さが招いた結果なんだ・・・」
私は返しました
「本当にそう考えられるなら、これからどうするかが大事なことなんじゃないか?このままだったら完全に崩壊してしまうから、きっと神様がその一歩手前でお前たち夫婦に課した試練なんだよ。仮に失うのが金やモノだけで済むなら御の字じゃないか。今回のことでお前にとって本当に大事なものが何かを確認できたんだ、お互いを見つめ直すチャンスをもらったんだよ。だから家族皆で力を合わせて乗り越えるしかないだろ!」
これは「青天の霹靂」なんかではない、予想外の突然の事故ではなく、起こるべくして起こってしまったことだと私は思います。ひょっとしたら世の中に「青天の霹靂」なんてものはないのかもしれません。すべての事象には、やはりそれ相応の原因があるのではないでしょうか。
そしてその原因のほとんどは、自分の“我”(エゴ)がもたらす産物であることに間違いありません。
彼は何とかこの非常事態を回避するために今も奔走しています。
こんなとき我々友人にできることなんて高が知れてます。
せめて彼らの気持ちが折れないように応援するしかありません。
人の振り見て・・・私たちも見つめ直さなければなりません。
「言わなくても分かってる」なんてことはないことを・・・
分かっていても「ありがとう」とお互いに言葉をかける大切さを・・・
多くのことを考えさせられた一件ですが、今はただ祈るだけです
“お前ならできるはず 頑張ってくれ!”
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