「マイス、ジャポネ、シェフサラ、ウィズライスでオール3願います!」
私のよく通る(素敵な)声が厨房に響き渡る
「はいよー!
マイス(コーンクリームスープ)!
ジャポネ(和風サーロインステーキ)!
シェフサラ(オリジナルサラダ)!
ライスでオール3よろしく!」
オーダー番のチーフシェフが各配置のコック達に向かって繰り返す
婚礼シーズン真っ只中のとある大安吉日のディナータイム
そのホテルのレストラン厨房のデシャップ前は
オーダーの飛び交う声、食器の重なり合う音
額に汗するコック、小走りに行き交うウェーター・・・
それはまさに戦場という形容がピッタリの活気に満ち溢れていた
「あっ!ライスが・・・」 「えっ?」
一瞬厨房の時間が止まった
そう、ハプニングというやつはいつも突然やってくる・・・
先日、ちょっとした会合があって松本駅前のあるホテルに行ってきました。そこは昭和57年に開業した結婚式場やレストランを併設する全国チェーンのシティーホテルで、私がオープンから2年ほど勤めさせていただいた懐かしい場所です。当時はホテルウェディングが定着しつつある時代で、真夏と真冬を除くシーズンは、ほとんど毎週末2会場に2件ずつ、1日計4件の披露宴が入るという繁忙ぶりでした。私はその料飲部門に所属し、メインはレストランのウェーターをしていましたが、当然披露宴のある日はバンケットにヘルプに行き、日夜サービスの仕事に忙しく携わっていました。
「お~い、よっちゃん、元気かー?」
後方から懐かしい声が聞こえて振り向くと、その会合の会場責任者だった現料飲副支配人の方でした。彼は数少ない現職のオープンメンバーなのですが、私と同じ町場のバーテン上がりだったせいか、高校の先輩だったせいか、とにかく在職中は言葉ではとても言い尽くせないほどお世話になった、私が今でも尊敬してやまない人物です。
実はTKCの研修でこのホテルにはよく行くのですが、この日はプライベートということもあり、彼もちょうどその会合で上がりだったので、久々にゆっくりグラスを傾けながら話す機会を得ることができました。今では季節の便りでしかお付き合いがないので、暫くは仕事のことや家族のことなど近況を話していましたが、ほどなく20年以上前の同じ釜の飯を食っていた当時の話になったとき、私はいつか彼に言おうと思っていた忘れられないエピソードを話し始めていました。
「そんなことあったっけ?」 残念ながら先輩は本当に忘れているようでした。
「忘れちゃったんスかー?まあ当の本人はそんなモンかも知れませんね・・・でも俺にとってはあの時の『喜んでいただくそうです!』は、今でもハプニング対応の最高のバイブルですから。先輩の一言で一気に厨房の空気が変わって、あの日あの場所にいた連中は、料理長を含めて全員きっと最高の気持ちで仕事したはずですよ。とにかくあの最悪の状況が一変したんだもんなあ・・・ ああ、今思い出しても涙出てくるわ」
「んな大げさな」
いやいや私にとっては決して大げさな話ではないのです・・・・・・
「あっ!ライスが・・・」 「えっ?」
その日ライス番のコックがあまりの忙しさで予備のライスを炊き忘れた
最初のライスが底をつきかけ、ちょうど私がオーダーした3皿が用意できない
その日はたまたま普段レストランにはいない料理長が陣頭指揮を執っていた
また不思議とハプニングとはそういうときに限ってよく起きる
当然料理長はものすごい剣幕で部下のコック達を怒鳴りつける
叩き上げの職人気質、若い連中にとってそれはそれは相当な恐怖である
厨房が完全に凍りついた・・・
私はパニクりながら、その日のチーフウェーターだったその先輩に報告した
料理長が険しい表情で私たちに向かって「ブレッドに・・・」と言いかけたそのとき
「料理長!今日のバンケットの栗ご飯まだありますよね?」と先輩が言った
「あ、ああ、残ってはいるが、こっちはフレンチだぞ・・・」料理長は困惑の表情
「私に任せてもらえますか?」きびすを返した先輩は冷静な表情でホールに向かう
私は先輩の後ろに付いてお客様のテーブル横に立った・・・ひたすら謝る準備をして
「お客様、本日当店では是非お勧めしたいスペシャルメニューがございます。
信州名産の栗をふんだんに使った栗ご飯なのですが、いかがでしょうか。
通常のライスと同じ料金で提供させていただいております。
今が旬の当店自慢の栗ご飯を是非お召し上がりになりませんか?」
「ほお、栗ご飯・・・?おもろい取り合わせやけど、それだけお勧めならいただくわ」
関西なまりのお客様は先輩のこのセールストークに応えた
私は胸の支えが一気にほどけ、お客様に深々と頭を下げて先輩とともに厨房に戻った
ここまではまあこの商売では稀にあるハプニングで、ちょっとベテランの手馴れたウェーターなら、ある程度こういった対応はできるでしょう。
しかし厨房に戻った先輩が料理長に向かって放った一言に、私は本当に感動してしまったのです。
「料理長!栗ご飯3つ 喜んでいただくそうです!」
「そうか・・・ヨーシ!バンケに飛んですぐ下ろせ!せいろ準備!蒸し5分で火を入れろ!ぐずぐずするな!」
「ハイッ!」 厨房のコック全員が血色を取り戻し一斉に動き出した
今まで見たこともない料理長の毅然とした鮮やかな指揮とコック達の軽快な動き、この後のレストランは閉店まで活気に溢れ、厨房とホールの人間が見事に一体となって、それまで経験したことのない最高の雰囲気で営業を終えたのです。
お客様は「喜んでいただく」までは言っていませんでした。
しかし、「とりあえず栗ご飯にしてもらったんで…」
なんて先輩が普通に言っていたらどうなっていたでしょう。
おそらく料理長は怒り心頭のまま、落ち込んだコックたちは下を向いたまま仕事をしていただろうし、きっと私らウェーターは「何やってんだよ」と、最後まで厨房に溝を感じたまま重苦しい時間を過ごしていたことでしょう。言い方一つでそんな雰囲気をすべてプラスに変えてしまった先輩の、空気を読んだ、機転の効いた、センスある一言を私は忘れません。
「計算なんてナンもしてないさ…よく覚えてないけど、たぶん咄嗟に出た行動がたまたまいい方に作用しただけだよ。ただ、お前と一緒にやってたときも勿論今でもそうだけど、いつも相手やその場にとってどうするのが一番いいだろうってのはまず当り前に考えてる、それが仕事だから・・・職業病だろうな
でもそういう些細なことにちゃんと気付いて、それを自分の肥しにしようっていうお前が凄いよ。同じことが目の前で起こっても、それをどう消化するかで人の生き方なんてぜんぜん違ってくるからな…そこんとこがお前の強みというか魅力だろうな…さすがだよ!」
最後の一言に私はまたやられてしまいました。
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