「飛行機飛ばなかったらどうしよ~?」
カミさんがテレビにかじりついたまま呟く
「そんなもん 電車乗り継いでいくさ」
こっちはネットの台風情報を睨みつけたまま応える
「…あ!ダメだよ 特急しなの運休じゃん!」
当地長野県の木曽郡南木曽町で前日起こった土石流が原因で
JR松本~名古屋間が不通になっていた
(被災された方々には 心よりお見舞い申し上げます)
「ああ~ そうか~ そういえばそうだな
…そしたら長野から東京回って新幹線だ」
「でもこの予想進路だと新幹線止まっちゃうかも」
「な… そしたら車で行くさ 高速飛ばして10時間だ!」
「高速道路も通行止めになったら…?」
「這ってでも行く 絶対行ってやる」
「はいはい そう言うと思ってました
どうなってもついて行きますよ(笑)」
我が家に家族がまた一人増えたんだ
今行かずしていつ行くってんだ 待ってろよ~!
平成26年7月4日長男夫婦に待望の第一子「一平」が嫁の故郷鹿児島で産声をあげました。私ら夫婦にとっては嬉しい二人目の孫がこの世に生を受けたのです。
出産予定日は6月30日、とりあえず予定日に産まれたら、その10日後位ならもう退院して自宅に戻っているだろうとのこちらの勝手な目算で、一月以上前から仕事は有休を取り、7月10日発の航空券やら先方で宿泊するホテルやらを予約して、さあ行くぞと待ち望んでいたというのが実際のところでした。
ところが数日前に発生した台風8号が、ちょうど私らが旅立つ10日九州南部に上陸。
一日一便の福岡~松本空港を往復する富士ドリームエアラインの飛行機が、その日飛んでくれるのかどうかフライト直前まで分からない状況が続いていたのです。
しかし、天は私ら家族を見捨てませんでした。
午前10時20分福岡から松本に向かう飛行機が暴風域の中を飛び立ったのです。
「よ~し!これで松本からの飛行機も飛ぶぞ」
後々分かったのですが、台風に最も強い交通手段は飛行機だったんですね。
雨雲を突き抜けて、その遥か上を飛ぶわけですから、離発着さえできればまったく台風の影響を受けずに飛ぶことができるんです。私らはこうして長男夫婦の結納の日から一年半ぶりに無事九州の地に降り立つことができました。
そして翌日早朝、九州新幹線で一路鹿児島に向かい、ご実家の父上と母上の案内で嫁と孫が入院する病院に赴き、そこで孫との初対面を果たしました。
その可愛さはいつものことながら、言葉ではなく涙が出てくるほどの何とも表現できない世界であります。
私ら夫婦には子どもが三人、そして一昨年初孫が誕生し(2012年11月「ようこそ」http://dairicolum.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html)今回二人目の孫が産まれ、都合五回の赤ちゃんの誕生を経験してきたわけですが、母親が命を懸けて出産する新しい生命の誕生には、そのすべてにそれぞれのドラマがあるものです。
此度の長男夫婦の出産は帝王切開でした。
母親となる彼女は、20時間以上の陣痛に耐えながら自然分娩で産もうと必死に頑張ったそうですが、母子双方への体力的な負担を考慮してそうすることを主治医に勧められたとき、女として情けないと自身を責めて泣いたといいます。
しかし、最後の最後まで自力で産むことを望んでいた彼女を諭し、そうすることを決断したのは、他ならぬ産まれてくる子どもの父親となる息子でした。
その昔、帝王切開は楽して子どもを産む方法だなんてデリカシーのないお姑様どもが賜る時代もあったと聞きます。ついでに言っときますが、私も家内も帝王切開でこの世に産まれてきた人間です。
そのどこが楽な方法だ! 新たな生命が誕生するというその命がけの出産に、楽もクソもあるかバカ者!と強く思っている次第であります。
女性の出産という領域に対する男としてのスタンスは、語ることも介入することもすべきではないと私は思っています。しかし父親としてのスタンスは、出産の方法はどうであれ、産まれてきた新しい生命に真っ直ぐに向かい合い、どう育てるかが本当にダイジなことだと思っています。
そんな私の老婆心も、産まれたばかりの一平がアッという間に払拭してくれます。
嫁がことあるごとに送ってくれる一平の写メを見て、ウチの家族はみな彼の成長する姿にしか目を向けません。新たな小さな命の誕生とその成長は、家族の絆をさらに強くし、皆をまた人として成長させてくれるようです。
長男夫婦が命名した「一平」という名前、実は私の両親が私の命名のとき、母親の希望で一度は「一平」という名前に決まっていたのだそうです。ところが父親が出生届を出す段になって、自分が好きだった「樹」という字をどうしても使いたくて、「一平」と書くはずだったところを「一樹」と書いてしまったという冗談のような逸話があります。
また、私にそんな記憶が残っていたせいかもしれませんが、私らが此度父親となった長男「京平」の命名をするときに、どちらにしようか悩んだ名前が「一平」でした。
息子はそんなエピソードをすべて知ったうえで、生まれてきた子どもに迷わず「一平」と名付けたと言います。私は鹿児島を後にするとき、母親となった彼女に「本当に一平でよかったの?」とこっそり尋ねました。
彼女は「一平がよかったんです!」と微笑みながら即答してくれました。
私ら夫婦にとって孫の誕生は、その親となる自身の子どもとその伴侶の人となりを改めて知らしめてくれる財産であると思い知らされました。
「それにしても…
みごとに皆同じ顔で産まれてくるね(笑)」
「ウチの家系は個性が強いからな 顔の…」
「アハハハ ホントにね 可哀相に…」
「ちょいちょい 可哀相って…」
一平 我が家にようこそ!
そして 生まれてくれてありがとう!
2014年8月1日
ようこそ Vol.2
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