「うわ~~ちっさ~! ウチらの子とはえらい違いだね」
「ちょっと 可愛い~~!!」
新しい命が産声を上げた二日後 私らにとっては初孫との初対面である
「身体はきつくない? 大丈夫?」
若くして母親になった次男坊の嫁さんをカミさんが気遣う
「はい 大丈夫です!」
腰をさすりながら それでも いつもの笑顔で嫁さんが応える
「大変だったね ありがとう… ありがとう…」
元気な赤ちゃんを産んでくれた彼女に
新米爺さんは感謝の言葉しか出てこない
そして触れたら壊れそうな寝顔を覗き込みながら
心の中は安堵の気持ちで一杯になっていた
『母子ともに無事で 本当によかった!』
平成24年11月20日13時30分、次男坊夫婦に新しい家族、2,570gの女の子「陽菜(ひな)」が誕生しました。
産まれる前日の朝、眠い目をこすりながら起きてきた息子が、出産に備えて実家に戻っていた嫁さんがさっき入院したと呟きました。
もちろん出産の兆候があったから病院に入ったわけですが、予定日がまだ二週間も先だったので、私ら夫婦にも、正直期待よりも不安と緊張の方が強く走りました。
そしてその不安がやや現実的なものになったのは、その後微弱陣痛のような状態がずっと続いていて、嫁さんは結構辛そうだけど頑張ってる。でも、おそらく今日は産まれそうもないと息子から連絡が入ったときでした。
それを聞いたカミさんが、微弱陣痛は長く続くと母子の身体に負担がかかってよくないなんて言うもんだから、私は夜遅くまでネットで「微弱陣痛」って何だコノヤロー!と思いながら、検索しまくって調べていました。
しかし、結局その日は予想通り産まれなかったので、仕方なくそんな時だけの虫のいい神頼みをしながら床に就き、翌日も内心『大丈夫だろうか』と、そればかりを気にかけながら仕事をしていました。
それだけに息子から「無事産まれました」のメールを受け取ったときは、さすがに事務所のトイレに駆け込んで「ヨッシャー!」とガッツポーズを繰り返し、その後大便器に腰かけて赤ちゃんの写メを暫く見つめながら感慨に耽ったものでした。
さすがに職場だったのでこみ上げてくるものは何とか堪えましたが、あれが自宅で晩酌でもしている時だったら、大袈裟な話ではなく見事に号泣していたかもしれません。
巷では、孫は爺婆には責任がないから自分の子どもより可愛いんだよなんてよく言われますが、私は次男坊夫婦が慣れない様子で赤ちゃんを世話する姿を見て、まったく想定していなかった逆の感覚を抱きました。
『私の息子がこの赤ん坊の父親なんだな
この子はこれから私の息子を頼りに生きていくんだな』
そう思うと、私らがこの子の父となる息子を今までどう育ててきたのかが、そのままこの子の人生に反映するのではないかと、改めて自分の親としての責任を問われた気がしたのです。
だから決して私らに責任はないなどと言えません。大切な新しい命をしっかりと養い育む責任が自分の息子たちにあるのなら、私らが彼らの親である以上、彼らが魅力あるちゃんとした父と母に成長するためにサポートする責任があると思います。
そして想像もしなかったことがもう一つ
新しい命の誕生は我が家に素敵な贈り物をもたらしてくれました。
子どもたちが皆成人して我が家を離れてから私ら夫婦と年寄りだけの生活になり、それまで子どもたちを中心に家族みんなで楽しんできた季節折々のアニバーサリーは、当然のようにここ数年まったく無縁なものとなっていました。
ところが孫となる赤ん坊を目の当たりにしたカミさんは、自分の子どもたちが幼かった頃に具えていた母性が蘇ったかのように、今年のクリスマスの飾りつけを楽しそうに始めました。
ちょっと冷やかすと、毎年飾ってるよなんて言い返してきましたが、その楽しそうな様子は明らかに昨年までとは違います。
一緒に住んでいるわけでも、目の前に赤ん坊がいるわけでもないのですが、新しい命の誕生は、私たちに忘れかけていた我が子が幼かった頃のあの活き活きとした感覚を呼び起こしてくれたようです。
新米婆さんになったカミさんは、おそらく来年の雛祭りや誕生日も、若いママさんだった頃のように、楽しみながら家中を飾りつけたり、ケーキを焼いたりするのでしょう。
『子はかすがい』と言いますが、それは単に父親と母親の夫婦仲を取り持つという意味だけではなく、父母と祖父母、さらにはそれぞれの家庭の縁さえもより強く結びつけるという凄い力を持っていることを、私は初孫に教えてもらいました。
陽菜ちゃん
息子夫婦の元に産まれてくれてありがとう!
そして 我が家にようこそ!
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