『いつもありがとう! とってもおいしいワイン贈ります!』
長男からのメールを嬉しそうに覗き込むカミさん
「ワイン贈ってくれるって~ (^o^♪ 」
「あら そう・・・みんな優しいね~ (;一_一) 」
3日ほど前には次男からカーネーションのフラワーバスケットが贈られていた
娘からは『何も贈らないけど感謝してますから』などと娘らしいメールが届いていたようだ
「母の日」は毎年皆かいがいしく感謝の気持ちを届けて来るが、何故に「父の日」は雑な扱いをされるのかどうにも納得できない。
どこの家庭もそうなのだろうか ひょっとしてウチだけ? クソー!! 悔しぃー!!
すみません 取り乱しました・・・さて、5月の第2日曜日はご存知の通り「母の日」
そもそも何故「母の日」なるものができたのかは色々な説があるようだが、現在のような「母の日」になったのは、20世紀初めのアメリカでアンナ・ジャービスという女性が起こしたある行動がきっかけなのだそうである。
1907年5月12日の第2日曜日、彼女は自分を慈しみ育ててくれた最愛の母アン・ジャービスの命日だったこの日、母親が生前日曜学校の講師をしていたフィラデルフィアの教会で、花言葉が“亡き母を偲ぶ”という白いカーネーションをたくさんたむけて母親に感謝の意を捧げる会を行った。
彼女の行為は会の参列者に大きな感動を与え、翌1908年5月10日の第2日曜日には同教会に470人の生徒とその母親達が集まり、初めて「母の日」と謳ってその日を祝ったという。
それを期にアンナは支援者らとともに、母への感謝の気持ちを捧げる祝日を作るよう州議会に呼びかけた。やがてその声は大統領にまで届き、1914年アメリカ議会での協議の結果、5月の第2日曜日を「母の日」に制定し、国旗を掲げて母親に感謝の意を示す日とした。
こうして「母の日」は世界中へと広がり、日本に伝わったのは大正時代1920年頃と言われている。当時青山学院大学の客員教授だったアレクサンダー女史により紹介され、その後キリスト教関係の団体が中心となって日本中に広められたという。
そして昭和に入り一旦は3月6日の皇后誕生日を母の日と定めたが、戦後になってアメリカに倣い、日本でも5月の第2日曜日を正式に「母の日」とした。
当時、母親が健在な人は“母の愛”が花言葉の赤いカーネーションを、母親を亡くしてしまった人は白いカーネーションを胸に飾り、母親への感謝の気持ちを示すのが一般的だった。
そのうちに母に花を贈る人が徐々に増え、いつしか「母の日」にはカーネーションを贈るというスタイルが定番となっていたが、現代では母親の好きなものなどをプレゼントするのが主流となっている。
一方「父の日」はというと、こちらもアメリカのワシントン州に住むソノラ・スマート・ドッドという女性が、彼女を男手一つで育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったのがきっかけだと言われている。
ソノラが幼い頃勃発した南北戦争に父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人を母親が一人で育てることになった。そして数年後に夫は復員したのだが、復員して間もなく母親が過労により亡くなってしまう。その後男手一つで6人の子どもたちを育てた父ウィリアムも、子どもが皆成人した後無念にも亡くなってしまった。
父が亡くなった翌年1910年6月19日の第3日曜日、ソノラはワシントン州の教会で父の栄誉を讃える会を行い、父親の墓前にたくさんの白いバラを供えた。こうして「父の日」のシンボルは白いバラになった。
そしてその2年ほど前からアメリカではすでに「母の日」が浸透していたため、ソノラは当然「父の日」もあるべきだと父に感謝する日を作るよう牧師協会へ嘆願したという。
それから50年以上の歳月が流れた1966年、当時のジョンソン大統領がやっとのことで6月の第3日曜日を「父の日」と定める大統領告示を発し、さらに6年後の1972年、ニクソン大統領時代に正式に国の記念日に制定されたのだという。
日本での「父の日」は1950年頃から広がり始め、現代のように正式に謳われるようになったのは昭和も後半の1980年代になってからだと言われている。
さて、お気付きのように「母の日」が提唱されてから僅か6年で正式に国の記念日に制定されたのに対し、「父の日」はその制定までに半世紀以上の歳月を要している。また日本での「父の日」の認知も「母の日」に遅れること60年である。
アメリカでのタイムラグは第二次世界大戦など、世界情勢の劇的な変遷の時代と重なったことや、当時のアメリカ議会が男性だけで構成されていたため、男性に都合が良過ぎる法案だと懸念されてなかなか可決しなかったことなどが背景にあるようだが、日本で「父の日」が認知されるようになった一番の原因は、デパートやスーパーの売り出しのネタに使われたことだとも言われている。
「父の日」が制定されるきっかけとなったドッド家のエピソードは素晴らしい話なのに、日本でのその認識レベルは何とも寂しいものだ、が・・・
仏教の世界に「与楽抜苦(よらくばっく)」という言葉がある。これもウチの事務所の顧問である高橋宗寛和尚の勉強会でお教えいただいた、私がとても好きな意味を持つ言葉だ。
(高橋和尚はコチラでhttp://dairicolum.blogspot.jp/2011/01/10.html)
もともとは仏や菩薩が衆生を苦しみから救い福楽を与えることをいうそうだが、親子の関係がまさにこの「与楽抜苦」であり、父と母の存在をそのままに表わす言葉でもある。
楽しみを与える「与楽」が父の存在、苦しみを抜く「抜苦」は母の存在だ。
遊びに連れて行ってくれて、楽しいことを何でも教えてくれるのはお父さん…
病気になったときに看病してくれて、優しく添い寝してくれるのはお母さん…
どちらも子どもにとっては有難いことだろうが、やはり自分が苦しいとき辛いときに、その苦しみや辛さを傍にいるだけで解消してしまう母親の力には、おそらく我々父親なんてまったく敵わないだろう。
何といっても子どもは母の胎内で一年近く守られ、産まれて暫くは母親の栄養を分け与えられながら成長する、まさに母の分身そのものだ。
父と母のどちらが好きとか言う低次元の話ではなく、子どもが母親の存在を強く重く受け止めるのは人間として至極当然のことだと思う。もちろんそれでいいし、子どもたちにはそうであって欲しい。
その意味では「父の日」にはメールの一本もよこさないウチの子どもたちも、母親には毎年感謝の気持ちを伝えることを忘れずにしているので、「母の日」だけは良識ある子どもたちということにしてあげるとしよう。
「いいねぇ母親は・・・ みんなに大事にされて (-ヘ-*)」
「な~に~? ひがんでんの? ( 一o一)」
「別にぃ・・・ まあ良かったじゃん みんな優しい子で ^ ^」
「・・・だね(*^0^*) で? 来月は父の日をテーマに書くの?」
「それ・・・イヤミ? (T_T)」
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