「ちょっと何これ・・・ 寒いくらいじゃん」
高速バスで帰省した長男が私の迎車に乗り込みながらボヤく
「ああ ここんとこ夏がどっか行っちまった感じだからな」
「まいったな~ なんも持ってきてないよ・・・」
Tシャツ短パンにビーサンという出で立ちの長男がさらにボヤく
「お前は準備悪すぎ・・・ こっちは涼しいからってメール入れたでしょ?」
あきれた口調でカミさんが毒づく
「ゴメン ゴメン まさかここまでとは思わなかったわ・・・」
「ッタク・・・ 甘い!」
こんな調子で東京に住む長男が、お盆明けに取らせてもらった一週間ほどの夏休みを利用して、小雨降る冷夏の松本に彼女を連れ立って先週帰省した。今回は当地に3日ほど滞在したら一旦東京の自宅に戻り、翌日彼女のご実家がある鹿児島へ二人で飛ぶという。
何とも忙しいスケジュールではあるが、二人ともなかなか自由に休暇が取れない身のようなのでいた仕方ない。それでもお互いの故郷に揃って顔を出そうとは、さすがは我が息子、その義理堅さをひとまず褒めてやろうと思っていたら、どうやら息子たちには今回もう一つ別の大きな目的があったようだ。
彼らは数年前から結婚を前提に付き合っているのだが、今年あたりから本格的に二人で暮らすことにしたと言う。ただ、息子としては事後報告にはなるが、その事実と自身の意思を彼女のご両親に出来るだけ早く正直に話し、とりあえず父上にご理解頂かねばならんと決意しての里帰りという訳だ。
親元を離れて暮らす自由をいいことに、親には内緒でなし崩し的に同棲し、できちゃったから結婚しますなんてパターンになるよりはよほど健全で、我々に釘を刺される前に、自分なりのけじめをつけようとした息子の覚悟は認めてやらねばなるまい。
実はほんの3ヶ月ほど前には、それまで同居していたウチの次男が、こちらも以前からそんな雰囲気を匂わせてはいたのだが、いよいよ実家を出て彼女と二人暮らしをしたいと頼み込んできたばかりだった。
こんなとき男子の親は気楽なものだと思いつつも、ウチにも男子のような気性を持ってはいるが、一応女子の末娘がいることを思い出した。
やはり他人ごとではない・・・娘方の親御さんの気持ちを考えると、いくら今の立場が男子の親だからとは言え、21歳そこそこの未熟な若僧に向かって「好きにしなさい」などと軽く受け流すわけにはいかなかった。
私は次男に対し、結婚を約束できる相手であること、いつ頃結婚するか決めること、それまでに二人でいくら貯金するか約束することという条件を挙げ、それができるなら、自分で直接彼女の父上にすべてを話して承諾をもらってきなさいと命じ、その上で許してもらえないのであれば、それが今の自分の限界と受け止めて今回はきっぱり諦める。そしてもっと自分を磨いてからまたやり直す。それが男としての『けじめ』ってもんだと付け加えた。
この件を兄弟で情報交換していたのか、それとも偶然かは知らないが、いずれにしてもこの親父にしてこの息子ありというか、兄弟そろって同じような時期に同じようなことをしでかすものだと血縁の怖さに内心うち震えながら、長男と彼女を連れて、昼食に寄った蕎麦屋で二人にそんな弟の話をしているときだった。
「あらら たいへんだ…」
小声で呟きながら長男がスッと立ち上がり、私らが座っていた座敷奥のテーブルから三間ほど離れた座敷の上り口付近のテーブルに急いで歩み寄った。
何があったのか状況が見えなかった私らが、ちょっと腰を上げて長男が向かった先を見やると、どうやらそのテーブルで食事をしていた5歳位の女の子が、お蕎麦の入ったお椀をひっくり返してしまったらしく、お腹の辺りから腕や足の上まで蕎麦とツユまみれになって、懸命にそれを取り払おうとしていたようだ。
その女の子の母親はもう一人のお姉ちゃんを手洗いに連れて席を離れていて、不運にもそのとき、そのテーブルにはその幼い女の子一人だけだった。
店は結構混んでいて、座敷の他のテーブルにも多くの客がおり、そのせいか店員も忙しそうに動き回っていたのだが、その緊急事態に気付いていたのか否かはともかくとして、何の躊躇いもなく素早くそこに歩み寄ったのは息子だけだった。
彼は女の子の横にゆっくり座り、一言二言声をかけ笑顔を見せながら、衣服にへばりついた蕎麦を丁寧にとってあげていた。
息子と向かい合って腰掛けていた彼女が振り返り、その光景を見てすぐに自分も駆けつけようとしたのだが、「あいつに任せておけばいいよ・・・大人が大勢集まるとあの娘が可哀そうだから」と言って、私は立ち上がりかけた彼女を手招きで制した。
暫く息子と幼い女の子の様子を三人で眺めながら、「あんな風に思わず身体が動いちゃうとこがいいよね・・・ そこがあいつのたった一つの取り柄かな」と私が誰にともなく言うと、彼女が即効で私の方に向き直り、ニコッと笑って「ハイッ!」と応えた。
おそらく彼女も長男のそんなところを一番気に入ってくれているのだろう。
自分のことにはまったく無頓着な男だが、困っている人を見ると放っておけないあの思いやりは、一体どこで身に着いたのだろう・・・
故郷を離れて都会に一人、何年も社会に揉まれながら、きっとこの彼女を筆頭に、彼が関わってきた周囲の心ある人々に、知らず知らずのうちに育んでいただいた産物なのだろう。
親としては本当にそんな皆さんに感謝すべき、長男のたった一つの取り柄である。
社会人となり、徐々に自分の力量で生活できるようになってきた息子たちではあるが、それだけに今後彼らがぶつかる様々な事象は、我々親にとっても幼い頃とは比べ物にならないほど重く大きな責任を伴うものとなろう。
彼らには、此度の彼女との新しい生活もその一つだが、仕事、結婚、家庭といった自身の重要な課題に対して、大人として誠実に向き合い、失敗を恐れることなく、その時々で然るべき『けじめ』をしっかりつけられる男になって欲しいと願っている。
「お帰り~」
彼女の父上から一応の承諾をもらい、実家を出て2ヶ月になる弟が、彼女と一緒に兄貴たちとの夜の宴に顔を出した
「ああ・・・ 元気?」
相変わらずオヤジの前では何ともそっけない兄弟である
「は、初めまして・・・」
二人の彼女はこの日が初対面だった
皆で行きつけの居酒屋に赴き、膝を交えて一時間も経った頃、頬を桜色に染めた二人の若い娘が、既に半世紀を生き抜いた人生の大先輩である恋人の母親を挟み、大笑いしながらやたらと盛り上がっている
どうやら私ら夫婦のなれそめを聞き出しているようだ
カミさんがつまらんことを暴露しないか多少冷汗をかいてはいたが、彼女たちの微笑ましい空間が醸し出すこれまでとはちょっと違った心地よい幸せ感を味わいながら、夏の終わりを惜しむかのように、我が家の至福の時間がゆっくりと過ぎて行った
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