「これに和尚さんの似顔絵でも描いてあげたら?」
眼前の大柄なお坊さんにすっかりビビッている娘に割箸袋を手渡した
無理もない 娘がこんな間近でリアルなお坊さんを見るのは初めてだ
「・・・うん」
眼前の大柄なお坊さんの顔をチラチラ見ながら絵を描き始めた娘を
おだやかな笑顔で見つめ返していた大柄なお坊さんが優しく問うた
「絵を描くのが好きなの?」
「・・・ハイ!」
わずかな会話を継ぎ 緊張がほぐれてきた娘は 和尚の顔を描き上げると
横に自分の母親と なぜか料理を運んで来たウェーターのお兄さんの顔を
描き加えたのち 眼前の大柄なお坊さんの手元に その箸袋を差し出した
「えっ?くれるの?・・・おっ!優しい顔に描いてくれたね どうもありがとう」
母親を振り返りながら はにかむように照れ笑いを見せていた娘だが
そのあとも大柄なお坊さんのいくつかの問いかけに顔を赤らめながら
それでもはっきりとした口調で 時折り笑顔を交えながら答えていた
眼前の大柄なお坊さんは 彼女の中ではいつしか
どこにでもいる優しいおじさんと化したように見えた
今から遡ること10年半前の平成12年8月、その年事務所の20周年記念ということで、日頃の内助に対する感謝の意を表しましょうと、職員の家族を招いての食事会が市内某ホテルのレストランで設けられました。
我が家では、サッカーの遠征で不在だった長男を除き、当時小5の次男と同じく小3の長女、それにカミさんを連れだってその宴席に臨んでいました。
家族4人が横一列に並んで席に着いたとき、私の対面にはやはり20周年の記念講演会の講師としてお招きしていた高橋宗寛和尚(前回「10年越の箸袋~前編~」参照)が、どっかと腰かけておられたのですが、私の隣にひっそり腰かけた娘が、その和尚さんの姿を目の前にした瞬間からすっかり緊張してしまい、完全に固まってしまったのです。
高橋和尚という人は、私らいい大人でさえ今でもお会いすれば、その威圧感・・もとい、その並々ならぬ存在感のある表情と体格に、自然とこちらの背筋が伸びてしまうような強烈なオーラを放つ人物です。
ましてやピカピカ頭の正装したお坊さんなんてアニメの一休さんでしか見たことのない僅か8歳の女の子にとって、至近距離で見る高橋和尚のお姿は、おそらく恐怖以外の何ものでもなかったことは容易に推察できました。
そこで、好きな絵でも描かせて落ち着かせてやろうという親心から、軽い気持ちで手元の割箸袋を娘に渡して促したのですが、稚拙なその作戦が見事に功を奏し、何とか娘が泣き出す前に和尚とのコミュニケーションがとれたことに安堵し、私もカミさんもみなその箸袋の存在すらすっかり記憶から消え去っていました。
そしてあれから10年の歳月が流れ、今年1月27日に開催した事務所の30周年記念セミナー、その記念講演の講師はもちろん、ウチの事務所では恒例というより必然となった、その人高橋宗寛和尚です。
その講演で私が和尚にお願いした『こころを配る』という演題は、今回セミナーの「変化をチャンスへ!社長の行動が未来を変える」のメインテーマとは明らかに一線を画すものだったのですが、和尚は「うむ・・・ではそれで」とこれを快く受け入れて下さり、当日のご講演は、私たち事務所スタッフはもちろんのこと、ご参加いただいた顧客の皆様全員の心に響いただろう期待通りの素晴らしいお話でした。
そしてセミナー終了後、高橋和尚をお迎えしての打上げの席、スタッフみんなでその日のハプニングやら反省やらを酒の肴に語り合い、宴も和やかに進んで昔話に花が咲きかけた頃、この日も私の対面にどっかと座っておられた和尚が、私に向かって「えっ?」と聞き返したくなるような言葉を投げかけられました。
「ところで 娘さんとは今もいい関係でおるのかな?」
和尚の口からいきなり娘の話が飛び出し、私はその意図を解せないまま
「・・・あっ ハイ おかげ様で娘とは良好な親子関係だと思っておりますが・・・」
と、とってつけたような間抜けな返事を返すと
「うむ そうか・・・実はこれをいいタイミングでお返ししようと思いながら持っていたんだが・・・あれから10年経った記念の日だからちょうどいいかな・・・ 娘さんが嫁ぐときにでも見せてあげたらいい・・・」
高橋和尚はそんなことをサラッと仰いながら、ご自身の分厚いスケジュール帳から一片の箸袋を取り出され、私の手のひらにゆっくり乗せたのです。
「えーっ! いやいやいや ないないない
これ・・・和尚! これ ずっと持ってて・・・
いや~ こんな 有り得ないでしょ・・・」
私の手のひらには、10年前に私の娘が絵を描いたあの箸袋が確かに乗っていました。そして一旦は記憶から消え去っていたあの日の様が、本当に津波のようにザバーッと音を立てて蘇ってきたのです。
決して大袈裟な話ではなく、私はここ何十年も経験したことがないほどの驚嘆と感激で、すっかり我を失ってしまいました。
こんな地方の小さな会計事務所の一職員の娘が、たまたま一度お会いしたときに遊び半分で一片の割箸袋に描いた絵を、全国何万人というTKCの心ある先生方が師と仰ぐあの高橋和尚が、10年間もずっと持っていて下さったのです。
しかも毎日使っているスケジュール帳に挟み、そして年が変わり新しいそれに更新するたびに、この箸袋を手に取って、川崎会計のことやあの20周年の食事会のことを思い出しながら、シワを伸ばして新しいスケジュール帳に大切に挟み込んでくれていたなんて・・・もう勿体なくて この日私は 涙、涙、また涙の一日となってしまいました。
「一期一会」
千利休の茶道の心得であると、これも高橋和尚から教えていただいた言葉です。
『あなたと何度会っていようとも、今日の出会いは唯一無二の出会いなのです。
だから、この出会いを大切に思い、私にできる最高のおもてなしをしましょう。』
この10年間で私は少なくとも和尚と60回はお会いしてきました。ただそのことごとくは勉強会の講師と一聴講者というシチュエーションだったので、その場はいつもご挨拶程度の言葉を交わすだけで過ぎ去っていました。
改めて思い返してみると、和尚と差し向かえで杯を交わし、突っ込んだお話をさせていただいた「一期一会」と言える時間は、他でもないあの20周年の食事会が最後だったような気がします。
そして私にとってこの30周年でのサプライズは、紛れもなく高橋和尚から教えられた「一期一会」を、和尚自らが行動で示された最高を超えるおもてなしだったのです。
私はこの日、一片の箸袋さえも最高の宝物に昇華してしまう、そんなセンスのある人間になりたいと本気で思ったのでした。
翌日東京にいる娘に早速写メールで報告
「よく覚えてないけど・・・10年間も持っててくれたんだ 和尚さんってすごいネ」
「だろ? ところであの頃のお前には お父さんってどう映ってたわけ?」
10年前は気付かなかったが 箸袋の裏には私の似顔絵も描かれていた
「この絵の通りじゃない? さすが わたしね!」
「・・・って わしゃ 鬼かい!」
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