「夏休み 研修兼ねたアルバイト入るみたいなんだよね」
「それじゃあ パスポート作っても使うときないだろう?」
「うん・・・ そうだね」
「うんそうだねって お前 結局何しに帰ってきたの?」
「まあまあ いいじゃん! それよりワイン飲も飲も!」
今月15日、東京の専門学校に通う娘が一本のワインをぶら下げて一夜限りの帰省をした。
夏休みに友達と海外旅行に行く話があるので、パスポートを作るために6月中旬に一度帰るかもしれないと、母親には事前に連絡が入っていたらしい。
今年学生最後の年となった娘はGWも帰省することなく、本人曰くひたすら就活に奔走していたらしい。その結果、娘が希望する職種に就けそうな会社から、夏休み中に研修を兼ねたアルバイトに来れるかとオファーがあったので、二つ返事でOKしたのだと言う。
娘は現在メディア関係を学ぶ専門学校で「放送映画」という分野を専攻しており、映画やTV番組などの照明技術を修学している。中学生のときに大ヒット映画「オールウェイズ 三丁目の夕日」を観て以来、映画の裏方の仕事に興味を持ったらしく、いつのまにか映画やドラマを制作する側の仕事に就くことが将来の目標となっていた。
そして昨年から、いろんな専門分野を学習経験する中で、自ら照明というセクションを選択した。今のところ何故照明技術なのか詳しい理由は敢えて訊いていない。娘が自分で決めたことだからその道を信じて進んでくれればいいし、大事なのは何を選ぶかではなく、どう活かすかだと思っているので、我々親は子どもを信じて応援するのみ、これまで同様この時期の子どもたちに対する私の変わらぬスタンスである・・・
なんて、親元離れて暮らす娘のことを何でもお見通しのように書き並べているが、実はこういったことを私に知らしめるために、今回彼女が平日一泊二日の弾丸里帰りを強行したということを、私はほどなく知ることとなった。
『春休みは震災の影響で、GWは就活のためにと、理由はともかくスネッかじりの学生の分際で長期休暇に帰省せず、元気な姿を両親に見せることもなく、近況や就職のこともしっかり話しをしていないから、きっとそんな状況を多少でも申しわけなく思っていたのだろう。そして今回の研修アルバイトでいよいよ夏休みも帰れなくなってしまうとなれば、無理をしてでも一度帰省しておかないとまずいと思ったに違いない。相変わらず計画性のない娘だが、帰る気になったんだからまあ善しとしてやるか』
私はそんな勝手な憶測を抱きつつ、今年二十歳になるのに相変わらず行き当たりばったりの娘の行動に苦笑しながらも、正直女だから仕事のことはまあそんなに厳しく言わんでもいいかと自分を納得させていた。
娘は蒲田の駅ビルにあるワイン屋さんで週3~4日アルバイトをしている。土日は当然稼ぎ時なのでかなり前に頼んでおかないと休むことはできないから、今週バイトがなかった水曜と、たまたま授業がなかった木曜を使って帰ったというのだが、実家に着いたのは夜の11時、翌日午後3時のあずさで帰るという。いやいやもっと余裕を持って帰省できる日はいくらでもあっただろうと誰でも思うところだ。
なぜそんな厳しい日を選んだのかよく分からなかったのだが、その辺もまた娘らしいと言えばそうなので、さして深く追求することもなく、お土産のワインを飲みながら親子三人で暫く談笑していた。
そして軽い食事をとっていた娘が用を足しに席を外したとき、カミさんが誰に言うともなく諭すような口調で話し出した。
「このワインは父の日のプレゼント・・・ お父さんに会って直接渡して顔を見て、自分のこれからの大事なことを話したかったんだ、いつもありがとうって感謝の思いも込めてね・・・ でも週末の父の日には帰れないから、父の日に一番近い帰れる日にどうしても帰って来たかった 兄貴たちがそうだったように、お父さんとの約束を守りたかった あの娘だって同じお父さんの子どもだから・・・ まあ照れ隠しでパスポート作るからなんて言うとこが可愛いけどね・・・」
今週末は父の日?・・・それが全く頭になかった私には言葉がなかった。
おそらく薄々気付いていたカミさんは娘の気持ちを尊重して、敢えて今日までそこには触れなかったのだろう。
仕事や結婚、家族や健康、そういった自分の人生にとって本当に重要なことは、どんなに忙しくても電話とかメールじゃなくて、相手の顔を見て自分の言葉で真っ直ぐ話しなさい、これはお前たちとお父さんの約束だからなと、子どもたちに言い続けてきたのは確かに私だった。
娘は自分の就職の話が具体的に動き出す中で、仕事に対する目標や将来に対する自分の考え方といったものを一度両親にしっかり話し、それを認めてもらいたかったのだ。と同時に、今までそれらしいことは何一つしたことのなかった父の日に合わせて、その報告、それはすなわち娘の成長そのものを、父親への感謝の気持ちとして示したかったのだと思う。
私は息子も娘も同じように育て、接してきたつもりだが、やはりどこかで男と女という区別をしていたのかもしれない。もちろん生まれ持った役割というか性(さが)といわれるものまですべてひっくるめて男も女も全部一緒だとは言わないが、人としての生き方に男も女も区別がないのは明らかだ。
娘が就こうとしている仕事は、ワゴン車に機材を積み込んで、時間も場所も関係なく、日本中を走り回って、顧客のニーズ以上の作品を提供しなければならないという、過酷な裏方と華やかな表舞台が共存するそれこそ男も女もまったく無関係な世界だ。
そんなことは百も承知でその世界に飛び込もうとしている娘を、無意識のうちに息子たちとは一線を画し、女という視点で明らかになるく見ていた私は、この日、痛烈に横っ面を張り倒されるような苦い感覚と同時に、この上なく心地良い気分で娘の話に耳を傾けたのだが、その不思議な至福の空間こそ、娘が演出してくれた初めての父の日のプレゼントに他ならなかった。
「このワイン父の日のプレゼントだったの?」
「そ・・・そうだよ」
「お前が父の日にプレゼントくれるなんて初めてだよな」
「え-! そうだっけ-! んなことないでしょ!!」
「でもこんなにパンチの効いた旨いワインは初めてだ・・・ ありがとな」