2015年4月30日

ようこそ我が家へ Vol.3

「4時30分 3,345gの元気な男の子が無事産まれました!」

ラインの家族グループに息子から一本のメッセージ
そして産まれたばかりの赤ん坊の画像が数枚アップされた


「ヨッシャー やったぁー! ありがとう!」

「ホントによかった おめでとう!」

「めっちゃ 可愛い~~ パパそっくり~!」

「元気そうな赤ちゃん ママに似てるよ~」

家族のみんなから次々とお祝いと歓喜のメッセージが入る

「あかん 涙が止まらん…」

「やばい 泣ける…」

「絶対安静から三ヶ月 ホントよく頑張ったね」

家族全員が涙と微笑みで顏をくしゃくしゃにした瞬間だった



平成27年4月24日午後4時30分
次男夫婦に待望の第二子「晴哉(はるや)」が誕生しました。


私ら夫婦にとっては三人目の孫ということになりますが、何度この瞬間を経験しても、人間の生命の誕生とは真に命懸けであるとその度に思い知らされるものです。


昨年次男夫婦に二人目の赤ちゃんができたと分かったとき、今年4月23日が予定日だと伝えられていたのですが、その三ヶ月も前の1月中旬、やや体調が思わしくなかった次男の嫁は、定期の健診で切迫早産と診断されました。

それから暫くは少しでも嫁を静養させようと、カミさんが車で5分もかからない彼らのアパートに毎日通い、孫娘の面倒を見たり食事の支度をしたりしてできる限り支えて来たのですが、24時間ずっと見ていられるわけではなく、やはり幼児を抱えた母親はゆっくり眠ることもままならず、気をつけていても無意識に無理をしてしまうのか、1月の終わりには主治医から絶対安静を宣告されてしまいました。

このときお腹の子はまだ1千グラムちょっとしかなく、ここで産まれてしまうと超未熟児となり命の不安も否めないということで、少なくとも2千グラムを超えるまでは絶対安静が必要なので、自宅で療養するか即刻入院するかどちらか決めるようにと言われたそうです。

私は息子からその話を聞いたとき、産まれてくる赤ん坊と母親の身体のことを考えると、正直入院した方が良いのではないかと思いました。

しかし息子夫婦には二歳になったばかりの長女陽菜がいます。母親である嫁は、幼い娘を残して入院などできないと、父親である息子と相談して限界まで実家で療養することを選択しました。

そうと決まれば今まで以上に我々両親が彼ら親子を支えてやらなければと思うのですが、いかんせん嫁の実家は車で1時間以上かかる諏訪なので、以前のようにタッパに料理を詰めて買い物ついでに持って行くなんてわけにはいきません。

ここは実家のご両親にバトンタッチして委ねるしかありませんでした。

すると、娘の不安な現実を受け止めた実家の母上が、長年勤めてきた仕事を辞めると仰ったそうです。

この緊急時に仕事をしながら娘と孫の面倒を見ることはできないと、娘の家族のために退職願を出されたというのです。幸いにも仕事のできるベテラン社員に辞めてもらっては困ると会社側に慰留され、特例で休職扱いにしていただき、母上もそれを承諾したと聞いて我々もホッとしたのですが、私は母親の子を思う気持ちの強さに改めて頭の下がる思いがしました。

そんな母上と、仕事で疲れているにもかかわらず、毎晩孫娘をお風呂に入れ、寝かしつけてくれたという実家の父上の献身的な支援のおかげで、嫁は無理することなく安静に過ごすことができ、お腹の赤ちゃんも4月に入って2千グラムを超えて一時の心配な状況から脱したときは、家族全員本当に安堵したものでした。

こうして皆に支えられ、予定日を裕に一日遅らせて、大物になりそうな三人目の孫晴哉が誕生したのです。父親である息子が最初のメールで、「3,345㌘」「元気な」を敢えて報告したかった気持ちがよく分かります。


そして、甥っ子誕生の報告を受けた東京で暮らす兄妹達が、すぐにでも晴哉に会いたいとその翌日に帰郷しました。

週末二日間の強行日程でしたが、久しぶりにみんなが顔を合わせるということもあったので、出産した病院の近くの諏訪の温泉に宿をとり、甥っ子が産まれた三日目に心弾ませて初めての対面に赴きました。

遠く離れて暮らす長男夫婦と長女も、晴哉が産まれるまでの経緯をもちろん知っており、特につい一年前に出産を経験した長男の嫁と、二人の嫁を実の姉のように慕う娘は、絶対安静を強いられていた次男の嫁に頻繁に激励のメールを送り、ずっと彼女を元気付けてきました。


それだけに晴哉の誕生を自分のことのように喜んでいた長男の嫁は、初めて甥っ子を抱っこしたとたんに号泣。

その溢れる涙が我々家族の思いをすべて伝えてくれて、それ以上の言葉は何も必要ありませんでした。



新たな生命が誕生するたびに家族の絆が強くなり、その新たな生命が家族一人一人を成長させてくれることを改めて強く感じさせてくれた三人目の孫晴哉の誕生でした。




「元気な弟ができて良かったね 陽菜お姉ちゃん」

「晴哉だよ ヨロシクね」

「ハ・ル・ヤ」 (^_^)