2012年8月31日

兄弟の絆

「オオ~ 伊調ホントに3連覇やっちゃったね~」( ̄▽ ̄;)

ロンドン五輪レスリング女子63キロ級で伊調馨が見事五輪3連覇を達成

「見たかコラァ!! これが日本の女子力だぜぇー!!」○=(`◇´*)○コノヤロー

4年に一度のスポーツの祭典に人一倍燃え上がるウチのカミさんが吠えた
この人の常人離れしたテンションを詳しく知りたい方は4年前のこちらをどうぞ
(「我が家のオリンピック」http://dairicolum.blogspot.jp/2008/08/blog-post.html)



この夏17日間に亘り日本中を寝不足にしたロンドンオリンピックが去る8月13日幕を閉じ、ご存知の通り日本は五輪史上最多38個のメダル獲得という輝かしい成績を収めた。

そして今大会は、大和撫子と呼ばれる女性アスリート達の活躍が目覚ましく、五輪大会史上初と叫ばれる嬉しいニュースを連日我々に届けてくれた。

特に女子レスリング吉田沙保里と伊調馨の五輪3連覇は特筆すべき快挙だろう。

五輪3連覇などという途方もないことをやってのけた日本人は、後にも先にも男子柔道60キロ級の野村忠宏ただ一人だったが、この大会で一気に二人の女性アスリートが肩を並べたわけである。

中でも伊調馨が3連覇を勝ち取った後のインタビューで、スタンドから応援し続けていた姉、五輪二大会連続銀メダリストの伊調千春を「千春の声は天の声」と讃えたエピソードは印象深く残っているが、のみならずレスリングを通しての伊調姉妹の強い絆は以前からあらゆるところで語り継がれている。


「入籍したこと誰も俺に報告しないって! ありえないっしょ!」

先週遅い夏休みをとって弟夫婦の入籍をお祝いしたいと彼女を連れ立って帰郷した長男が、その宴席の冒頭、自分が弟たちの入籍を知ったのが先月のこのコラムだったとあきれて皆に言い放った。

「あれ? 言わなかったっけ? はっはっはっ ごめんごめん」

弟を初め我々の反応が極めて冷静なものだったので、兄貴もやや拍子抜けしたようだったが、入籍を人生の一大事と捉えていた長男と、入籍そのものはそう大きな問題ではないと捉えていた次男との間に少し温度差があったようである。

二人ともちょうど同時期に自身の結婚という節目を目前にしているが、二人の考えが違うようにその伴侶やご家族の結婚に対する考え方もそれぞれの家庭環境ももちろん違うわけで、私としてはそういったことも含めて大きな人生勉強をしているなと見守っているところである。


彼らは四つ違いの兄弟だが、私が知る限り二人がよく話をするようになったのは極々最近のことである。

中学生くらいから成人するまで、いわゆる思春期と言われる頃は、私の前ではほとんど会話をすることもなかったので、互いに我関せずという距離感を持っているのかなと思っていたが、後々カミさんから聞いた話では、私の居ないところではしょっちゅう取っ組み合いの大喧嘩をしていたのだそうだ。

私には男兄弟がいないので彼らの真意は計り知れない部分もあるが、幼いころの記憶をたどれば、弟は常に兄貴の背中を追っかけていたように思う。

兄貴が小3のとき地域のスポーツ少年団に入ってサッカーを始めると、その翌年、弟は小学校に上がると同時に兄貴のいるチームに入団した。

おそらく弟は気付いていないと思うが、当時兄貴を目標にして、兄貴に早く追い付きたくて毎日ボールを必死に追いかけまわしていたおかげで、周囲の仲間達よりちょっと早く上達し、チームメイトの親御さんからもお宅の子はサッカーが上手いと言われるようになっていた。

そして兄貴も自分が小学校を卒業する頃には、口には出さなかったがそんな弟の力を十分認めていたように思う。

最も印象的だったのは、小学校育成会のスポーツ大会で、6年生だった長男がウチの地域のサッカーチームのキャプテンをやったときのことである。

この試合は前半4年生以下の子だけでゲームを行い、後半から5・6年生が出場できるというルールで、その出場選手を決めるのがキャプテンの役割だった。

前半は当時3年生だった弟が一人で相手を抜きまくって2~3点入れたところで終了。後半は兄貴を中心に高学年だけのチームで試合に入ったが、相手チームにスポ小の6年生が何人かいて次々とゴールを決められ追いつかれてしまった。

そのとき、交代して退いていた弟がライン沿いまで走って行って、試合中の兄貴に向かって大声で必死に何かを叫んでいた。彼は、泣きながら自分を出してくれと兄貴に嘆願していたのだ。

兄貴は5・6年生だけのチームに3年生の弟を入れていいものか暫し悩んだようだったが、ボールがタッチを割ったところで審判に交代を告げ、弟を再びピッチに呼び入れたのだった。兄貴は、サッカー経験のあまりない他の上級生より弟の方が明らかに戦力になると分かっていたからである。

その試合は結局負けてしまったのだが、その一連の光景は微笑ましい記憶として私の脳裏にはっきり焼き付いている。


その後、二人はクラブチームや学校の部活でそれぞれサッカーを続けていたのだが、兄貴が高校2年のとき、サッカー部の顧問と部員の間でトラブルが生じ、結局折り合いがつかずに兄貴を初めほとんどの部員がサッカー部を辞めるという事態にまで発展してしまった。

このときは私も他の親御さんたちと一緒に学校に何度も足を運び、何とか息子たちが普通にサッカーができる環境に改善して欲しいと学校側に直談判したのだが、結局学校側の対応も事態も何ら変わらず、意に反する形で長男はサッカーシューズを脱ぐことになった。

実はこのとき、この事態を一番悲しんでいたのは他ならぬ当時中学2年の弟だった。

お互い口には出さないまでも、当然に兄弟の存在が自身のサッカーに対するモチベーションの刺激にも支えにもなっていたのは言うまでもない。

特に弟にしてみれば、常に目標にしていた兄貴の背中が見えなくなってしまったわけだから相応のショックを受けたのは火を見るより明らかだった。レスリングの伊調姉妹とは大きくレベルの違う話だが、弟は人が羨むような戦績も、名前が知れるような活躍も、そんなことを兄貴に求めていたわけではない。ただ、サッカーを続けていて欲しかっただけのことである。

もちろん今は、弟もその時の兄貴の忸怩たる思いを理解できる大人になり、事情を察して何のわだかまりも不信感も持つことはない。

彼らはプロのなったわけでも何でもないが、子どもの頃から打ち込んできたサッカーを通して、私らも入り込めない二人だけが分かる感覚を持っているような気がする。


兄弟として色んな経験を経て、今はそれぞれに家庭を持つことになり、自分よりも大切にする人の存在を知ることになったせいか、最近は末娘も含めて三人ともお互いを思いやる気持ちがグッと強くなったように感じる。入籍を知らせてくれなかったと怒った兄貴も、弟の幸せを一番に願っているからこその気持ちの表れなのだろう。

オヤジとしては、兄妹なんだから歯の浮くような言葉をかけあう必要はないが、いざというときは真っ先に寄って支える関係でいて欲しいと願っている。



(以下 2012年8月9日 読売新聞より抜粋)
2連覇を達成した北京五輪。記者会見で2大会連続の銀メダルに終わった
姉千春が現役引退を表明すると、妹馨も「自分一人だと目標がない、この
五輪を最後にする」と引退の意向を口にした。「姉妹で金メダル」を目指
してきた妹にとって、姉のいない五輪ロードなど無意味に思えた。

「馨、一緒にカナダに行こうか」姉千春の提案で二人は2009年4月
レスリング漬けの日常を離れてカナダに一時留学した。

異国で初めて経験する二人暮らし。カルガリー大で英語を学び、世話好きな
姉千春が作る野菜のたくさん入ったポトフを毎日のように食べた。
競技の話はほとんどしない。懸命に英語を覚える自分が新鮮だった。

週2日程度軽く練習した大学では学生が気軽にレスリングを楽しんでいた。
馨は「こんな世界もあるんだ」と視野が広がり、重圧に疲れた心が徐々に
癒やされていった。

約8か月後に帰国した2人はそれぞれの道を歩き始めた。
妹馨は拠点だった母校の中京女子大を離れ、東京で一人暮らしをしながら
競技を続けることにした。姉千春は青森県八戸市に戻り夢だった高校教諭に。
しかし、競技との両立が難しくなり半年後には一線から退いた。

「一人で心細くなった」最初はそう漏らしていた妹馨は、毎日電話やメールで
悩み事などを姉千春とやりとりをするうちに物理的な距離を感じなくなった。
姉は今年に入ると月1回のペースで上京し、妹の身の回りの世話も始めた。

観客席の姉千春は、妹馨の準決勝直前、深呼吸をしたり首を回したりして、
自分が試合に臨むような姿だった。「一緒に戦っているつもりなので自然と
動きが出ました。あと一つ気を抜かずに…最後まで一緒に戦います!」