2012年7月31日

感謝感激 アメ アラレ

「お二人のようなご両親の元へなら 安心して娘を嫁に出せます」

「そんな立派な者ではありませんが そう思っていただければ光栄です」

「わがままな娘ですが 今後とも宜しくお願いします!」

「こちらこそです! 今日はありがとうございました 本当に楽しかった
彼らのためにも私達親がいい関係を作っていきましょう! 」

別れ際、品川駅の構内で私は鹿児島の父上とガッチリ握手を交わしていた



今月は私ら夫婦にとって、何と表現していいか分からないがとにかく怒涛のような一ヶ月だった。

おそらく親という立場になって、初めて子どもたちのために親らしいことをする、言ってみればそんな節目のイベントが、図ったわけではないのだが立て続けに執り行われたのである。


先ず最初は 7月7日(土) 巷は年に一度の七夕の夜 

この日、私ら夫婦は次男の結婚顔合わせの席に赴くため市内の料亭に向かった。

次男は先月このコラムでもご報告申し上げたように、結婚を約束した彼女と一年前から同棲していたのだが、4月の終わりに子どもができたことが分かり、急ぎ先方のご実家に伺ってご両親に報告、相談のうえ先月の18日に入籍を済ませていた。

しかし、まだ両家の親同士は一度も面識がなかったので、できるだけ早く顔合わせの席を設けましょうという話になり、そういうことならと私の方で手配させてもらいこの日にお会いすることになったのである。

実は次男は兄貴である長男が、やはり長くお付き合いしている彼女と来年結婚する予定であることを当然に知っていたので、当初兄貴の顔を立てて、自分たちは兄貴たちの結婚式が終わって暫くしてから具体的な話を進めるつもりでいたようだ。しかし図らずも件の状況となり、そんなことは言ってられないと我々親もバックアップしながら話をとんとん拍子に進めたという訳である。

先方のご両親は、諏訪湖の花火で有名な諏訪市在住の方で、私らとは一つ違いの同世代のご夫婦だ。お子さんはウチと同じ三人だが三人とも娘さんとのことで次男の伴侶はそのご長女に当たる。

父上は酒が好きで相当強いと以前息子から聞いていたので楽しみにしていたのだが、口開けのビールが終わりかけた頃、私がドリンクメニューを差し出しながら…

「お父さん何にしましょうか? お任せしますよ」 と笑顔で振ると

「いいんですか?じゃ大雪渓を…ぬる燗で!」 と父上が眼光鋭く注文した瞬間

『ひえ~こりゃ本物だ~』 と心の奥で笑顔を強張らせたものである。


しかし、それからの宴はそれはそれは心地よく楽しいものだった。

父上とそれぞれの家族の色々なエピソードを肴に指しつ指されつ語り合い、その話に乗って母親同士もすっかり昔からの友達のように、ときに身体を叩きあいながら爆笑するわ、ときにしんみり二人で涙ぐんだりするわで、本当に今日初めてお会いした方々なんだろうかと不思議なくらいに温かい気持ちになっていた。

いつしか息子は仲居さんのようにオヤジたちの酒の注文を取り次ぎ、上座中央に座した身重の嫁さんは、つわりも忘れて顔を左右に振りながら、ただただ我々に笑顔を振りまくだけになっていた。

気がつけば、大雪渓ぬる燗一合徳利15本を父上と二人で呑み倒し、店を出てご両親に向かって頭を下げた後の記憶は見事に飛んでいたのであった。



そして翌 7月14日(土) 巷は3連休の初日

この日、私ら夫婦は長男の婚約顔合わせの席に着くため東京は品川に赴いた。

長男は八王子の専門学校を出てからそのまま東京で就職し、現在商業デザイン関係の会社にデザイナーとして勤務しているが、5年ほど前からお付き合いしている鹿児島出身の彼女と来年結婚する意志を固めたというので、こちらもまだ面識のない両親同士の顔合わせをしようと息子たちを挟んで結構前から画策していたのである。

そして、此度彼女のご両親が連休を使って鹿児島から上京することになったので、こっちで一席設けたいが我々も上京できるかと長男から連絡が入り、私らとしては何があっても飛んでゆかねばなるまいと勇んで向かったという訳である。

鹿児島のご両親も私らと一つ違いの同世代ご夫婦で、父上は割腹が良く見た目は強面だがとても優しく洒落の分かる愉快な薩摩隼人である。そして娘さんそっくりの母上は容姿端麗で可愛いらしく、お世辞抜きで私らより十は若く見えそうなとても明るい薩摩おごじょである。お子さんは二人で彼女が長女、ご実家にお姉さんととても仲の良い弟さんがいらっしゃるという。

彼女の人となりやご実家のお話は、一昨年8月のコラムで紹介しているのでこちらをご覧いただきたい。(2010年8月「反面教師」http://dairicolum.blogspot.jp/2010/08/blog-post.html)


さて、先方の父上もご実家に湧き出す温泉水を利用して「美宝泉」というオリジナル焼酎を作っているとあってかなりの酒豪だと長男から聞いていたので、私は先週の轍を踏まないようにとやや抑え気味の心境で、品川駅前に息子たちが手配した割烹居酒屋の部屋に入りご両親と対面した。

互いにちょっと緊張した面持ちで挨拶を交わし、息子たちによる家族紹介が終わったところで乾杯へと移った。この日東京はかなりの猛暑で皆一様に生ビールが進み、歓談しながらあちこちで二杯三杯とジョッキを空けていたが、一息ついたところを見計らって私がドリンクメニューを広げながら…

「お父さん何にしましょうか? お任せしますよ」と笑顔で振ると

「よかですか? じゃ…黒伊佐で…うん? おおぅ一本もらえばよかたい!」

父上は娘さんと相談して本場薩摩の芋焼酎黒伊佐錦をボトルで所望された。

『こりゃやっぱり今日も気合い入れなきゃいかんな』

因みに前々から紹介しているが、この薩摩隼人の血を引く長男の彼女もはんぱなく酒が強い。今日はそんな薩摩おごじょもいるので、私もとことん付き合う覚悟を決めたのである。

そして父上と差し向かいで黒伊佐錦のロックを何杯か飲み干した頃、「こんばんわー」と仕事帰りのウチの娘が顔を出した。実は長男の彼女が誘ってくれて、先方のご両親も快諾していただき、場違いではあるが妹としてご挨拶に赴いたという訳だ。

長男の彼女は、今年4月に就職して神奈川で一人暮らしを始めたウチの娘を日頃からとても気にかけてくれていて、実の妹のように可愛がってくれている。娘もそんな彼女を慕っているが、お互い酒が強くて好きなところが二人の仲を取り持つポイントとなっていることは誰もが認める事実である。


それでも昨年二十歳になった娘は、私もびっくりしたのだが、彼女と彼女のご両親にちゃんと手土産を用意して来たので、普段そんなことができない子だと知っている彼女がとても感激したようで、娘も加わった後は一気にテンションが上がり、焼酎がまったく飲めないという母上の「オッケ~!」「オッケ~!」というローラのものまねが部屋中に伝染するなど、笑いの絶えないとても賑やかで楽しい宴となったのである。

気がつけば、黒伊佐錦ボトル2本を空にして、皆で品川駅に向かってふらふら歩きながら、写真を撮ったり何度も握手をしたりして、別れを惜しみながらそれぞれの宿に帰って行ったのである。



息子の結婚相手のご両親と共有した時間は、私にとっては想像以上に楽しく気持ちが温かくなるひと時だった。

男親と女親の違いは当然あると思うが、まずは子どもたちが愛し合っているという事実がベースにあり、互いにその伴侶となる人間を育てた親同士が分かり合おうと好意的に本音で語り合うのだから、一般的な初めましての会合とは全然違い、相手を理解し受け入れるのにそんなに時間はかからないということなのだろう。

いずれにしても、そんな子どもたちの出逢いをきっかけに、私ら親もまた新しい出逢いの縁を持たせてもらっている。これから先も娘の結婚や息子夫婦の子どもの誕生など、その輪がどんどん広がって行くことを思うと、こんな大きな幸せを与えてくれる子どもたちに感謝せずにはいられない。

今回は、そんな至福のときを立て続けに見舞ってくれた二人の息子に
「感謝感激アメアラレ」である。 ホントにありがとう!




「ああ いいじゃ~ん! よかった ピッタリピッタリ」

長男の彼女が左手薬指にはめた婚約指輪を見ながらカミさんが喜んだ
数ヶ月前、お祝いにとカミさんが彼女にプレゼントした指輪なのだが
これは私が結婚するときにカミさんに贈った婚約指輪である


「ああ いいじゃ~ん! 洒落たデザインだね 似合う似合う」

東京から戻った翌週 次男から電話があり私らに会いたいというので
近くのイタリアンで一緒に食事をすることにした
その席で彼女が左手薬指から抜いた指輪をカミさんの手の平に乗せた

これも結婚が決まってすぐにカミさんがプレゼントした婚約指輪である
サイズ直しと多少のデザイン加工を頼んでいたものが出来上がったので
一番にお母さんに見せたかったのだという
この指輪もカミさんが結婚するときに実の母親から貰った素敵な指輪である


もうすぐ娘になる二人が本当に嬉しそうに自分の指輪を貰ってくれたのを
殊更喜んでいたカミさんだが、私はこんな素敵なことをサラッとするこの人に
実はまた惚れ直しているところである