2012年2月26日

OneSoul 松本山雅

「エーッ!! あの試合も行ってたんすかー?」

「もちろんよ~ 今年は全試合行くつもりなんですから~」

相対しているのはある関与先さんで事務を執る 六十代後半の女性


時は2011年12月17日
場所は富山県総合運動公園陸上競技場  して目的は
第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会4回戦
『松本山雅FC vs 横浜F・マリノス』の絶叫応援

「ニュース見たら雪も残ってたみたいで すっごく寒かったんでしょう?」

「う~ん すっごく寒かった~ でもね 心が燃えてるから全然平気なのよ~」

松本山雅の話になると少女のように目をキラキラさせてはいるが
今年五十三になる私より間違いなく一回り以上年上の女性なのだ
このパワーとバイタリティは一体どこから湧いてくるのだろうか

若干引きつつも『この姿勢は見習わないといかんな』と思わせる勢いだ



ご当地信州松本の今年一番の注目は、何といっても昨年12月にJ2昇格を決めた松本山雅FCの活躍だろう。

昇格が決まった当初は、我々の住むここ松本にプロサッカークラブ誕生という夢が現実になった歓喜と興奮ですっかり舞い上がっていた感があるが、ここのところ地域住民総力挙げて松本山雅FCを本格的にサポートしようという空気に満ち溢れている。

JFLの時代から我が山雅サポーターの統率のとれた熱い応援は、浦和や鹿島といった強烈なサポーターを持つJ1クラブチームにも引けを取らないと言われてきた。昨年のアルウィン総合球技場でのホームゲーム平均観客数は約7,500人、これはJ2全20チームと比べても6番目に多い動員数になるそうだ。

どうして松本住民はこれほどまでに松本山雅に対する思い入れが強いのだろう。

地元の人間なら皆知っていると思うが、松本山雅FCの前身は1965年当時の国体県選抜メンバーが中心となって結成された「山雅サッカークラブ」で、この名称は松本市の駅前にあった喫茶店「山雅」に由来している。

店の名前は山好きのマスターが信州の「山」は「優雅」だからと、これを組み合わせて命名したものと言われており、創部当時のメンバーの多くがこの喫茶店の常連で、「山雅」という名がまさに信州らしい名称だと気に入って冠に拝したという訳だ。

1972年松本駅前の大規模な開発事業に伴って店は閉店したが、山雅サッカークラブはその組織を徐々に大きく充実させながら、昭和から平成の現在に至るまで40年以上の歳月を健全に運営してきたことになる。

昨日今日いきなりポッとプロチームが誕生したわけではなく、長年ここ松本に根付いてきた歴史あるクラブだからこそ、キッズから社会人まで幅広いカテゴリーを持つ山雅サッカークラブの選手やスタッフとして実際にチームに関わってきた地元の人が数多くいて、まさしく故郷の母校がプロのクラブチームになったような感覚で、冒頭のお母さんよろしく、老若男女を問わず自然とサポートせずにはいられないという状況になっているのだろう。

そしてもう一つ、そんなサポーターの心を更に強く結束させたのは、何と言っても昨年8月に35歳という若さで急逝した元日本代表DF松田直樹の存在だろう。

あの中田英寿や前園真聖らとともに日本代表の一時代を築いた彼が、JFLの松本山雅に入団したこと自体夢のような話だったわけだが、それが僅か一年足らずで突然死してしまうなんて、あまりに衝撃的で、あまりに辛い出来事だった。


しかしこのドラスティックな事実は、松田直樹を松本山雅FCの永遠の象徴として位置付けることとなり、志半ばで散った彼の魂のもとに、すべてのサポーターがチームを愛する気持ちをより鮮明にさせたのではないだろうか。

もちろん選手たちも然りである。J2昇格を懸けた昨年のJFLリーグ戦終盤の5試合は、亡き松田直樹の魂が山雅イレブンに相応以上の力を発揮させたと言わずにはおれない試合内容だった。死してなおチームメイトを鼓舞する彼の遺志と物言わぬ存在感は、松本山雅の誇り高き財産として未来永劫語り継がれることだろう。

余談だが、松田直樹は私と同じ町内のすぐ近くのマンションに住んでいた。すごい人物が恐いほど近くにいたので逆にホントに居るのかと実感が沸かなかったほどである。そのマンションには他にも山雅の若い選手が何人か住んでいたので、ウチの近所のお店で山雅の選手がバイトしてるなんてのも実は普通に見られる光景だった。考えてみれば本当に地域に密着した親しみ深いプロチームなのである。

私がもう一つ個人的に楽しみにしているのが、松田直樹が生前弟のように可愛がっていたという自称松田の一番弟子、背番号5ボランチの小松憲太選手だ。

彼は数少ない当地長野県の出身だが、何より彼はウチの次男坊と同じ高校のサッカー部で、息子が一年の時のキャプテンだったので、それはそれはとてもお世話になった二つ上の先輩なのである。そんな目の前で見ていた男がJリーガーとなって山雅にいるわけだから、我が家のテンションが必要以上に盛り上がるのも無理はない。

二年前東海学園大学を卒業してすぐ山雅に入団した小松選手は、プロとしては正直まだまだ粗削りだが、豊富な運動量でしつこくボールを追いかけるプレースタイルは、相手に嫌がられる中盤の要としてその成長が期待される。

松田直樹が亡くなったときのインタビューで、「お前とボランチを組みたい」「お前は絶対に伸びるから頑張れ」といつも言われていたと小松憲太は涙ながらに語っていた。その松田直樹の期待と教えを自分のものとして、先ずは試合に使ってもらえる選手になるよう期待を込めて応援して行きたい。


そして今年、J1昇格請負人とも言われる反町康治監督を招聘し、チームとしてはJの舞台に挑戦するに十分な態勢は整った。しかし、J2に上がれば上がったでクリアしなければならない課題もまた多いようだ。

JFLからJ2に昇格するということは、一般企業なら株式市場に上場するようなものなのかもしれない。クラブを運営する会社経営の良し悪しがこれからは直接昇降格の条件になるというのである。

特に来年から導入される「クラブライセンス制度」は、戦績・施設・人事組織・法務・財務の五つの項目に、クラブとして最低限達成すべき50以上の詳細なチェック項目を設定して全クラブを毎年審査し、基準に満たない場合はライセンス不交付となり、リーグへの参加さえできなくなるという。更に運営会社が3期連続赤字を続けたり、債務超過に陥った場合もライセンスが交付されず、すぐさまJFLに降格になるということだ。

単にリーグ戦の成績が良ければ安泰という訳ではないようである。

現在のところ松本山雅はこのクラブライセンス制度の項目をすべてクリアしており、NPO法人として本格的に運営組織を発足してから、平成四年に株式会社松本山雅となって現在に至るまで毎期黒字決算を続けているそうだ。

しかしJ2で戦うためにプロとしての選手を補強した松本山雅FCの年間運営費用は、JFL時代より5千万円以上多い6億3千万円と公表されている。一方でJ2に昇格して180だったスポンサー数は220に増えたという頼もしい支援もあるが、そのうえで松本山雅を経済的に支えるためにも、ホームゲームは山雅サポーターでアルウィンを緑一色に埋め尽くし、アウェイゲームにも数千人単位の応援団を送り込むなどして、とにかく地域住民と行政が一体となって後押しする必要がある。


厳しい経済環境が続くここ信州に、松本山雅の活躍がもたらす経済効果は相当に大きなものになるだろう。だからという訳ではないが、当地松本が、いや信州全体が松本山雅を軸に、同じ夢と期待を持って盛り上がれば自然と地域の活性化に繋がることは言うまでもない。松本と松本山雅FCの関係が、いい意味で大阪と阪神タイガースのような関係になればこんなに嬉しいことはない。

おそらくJ2上位のクラブとの実力差はまだまだ大きい。参戦一年目で驚くような好成績が残せるほどプロリーグは当然甘くはないだろう。反町監督が常々言っているように「今年はあくまで挑戦の年、実践を重ねる中でJで戦えるチームに成長するはず」それを信じて我々サポーターは勝っても敗けても気持ちを切らすことなく一丸となって松本山雅を応援しようではないか。


皆の魂を一つに OneSoul 頑張れ 松本山雅FC!!