2011年3月30日

それぞれの震災

“ 宣誓! 私たちは16年前 阪神大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
人は仲間に支えられ、大きな困難を乗りきることができると信じています。
私たちに今できること、それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
「がんばろう 日本!」
生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
平成23年3月23日 創志学園高等学校 野球部主将 野山慎介 ”


巡回監査に向かう車中ラジオでこの宣誓を聴き鳥肌を立ててウルウルきていた。
帰宅後TVのニュースでその表情や立ち振舞いを見て涙をこらえ切れなかった。

岡山県代表の創志学園は、創部1年目で選手全員が新2年生だという。そんな若いチームが春の選抜全国大会出場を果たしただけでもすごいことなのだが、感動の宣誓を見せてくれた主将の野山慎介君はほんの1年前まで中学生だったわけである。その彼が並み居る他校の先輩主将達を代表して登壇し、このように何とも堂々とした姿を見せてくれる。 まだまだ日本も捨てたもんじゃない あっぱれだ!


最近歳のせいか、どうも涙腺が弱くなっていけない。

被災地の子どもたちが避難所でお年寄りのために救援物資をリレーする姿、甲子園球場での宮城東北高校に対するスタンドからの大声援、仙台市出身の福原愛がトラック1台分の支援物資を自ら積み込むその表情、日本代表対Jリーグ選抜のチャリティマッチでのキング・カズのゴールにさえ、やたらと熱いものが込み上げてくる。

もちろん単純にその様だけを眺めて目頭を赤くしているわけではない。

そのときの被災地の子どもたちの気持ち、そのときの東北高校野球部員の決意、そのときの福原愛や三浦和良の強い思いを考えると、こんな私でも心が動かされるのである。


本当に歳のせいなのか、此度の東日本大震災がもたらしたあまりの悲惨さがそうさせるのかは分からない。ただ一つ言えることは、今、日本でとんでもないことが起こっているという事実である。そしてこの大震災は現実に被災された東北各県の方々はもちろん、被災地以外の人々にも、ことの大小を問わず何らかの形でそれぞれに影響をもたらす常軌を逸した自然災害となっているのである。


東京の専門学校に通う娘はこの春休み帰省しなかった。同じ寮に岩手県宮古市出身の友達がいて、3月11日の地震と津波による被災以後、その子の家族は音信不通で安否が不明だという。恐怖と不安に震える仲間を一人残して自分だけ帰るわけにはいかない。そばにいて励ましてあげたいからというメールがきたとカミさんが言う。

そしてカミさんによると、偶然にもその岩手の子のお母さんは昨年4月の入学式の日、カミさんと娘が会場に向かうために東京駅で電車を乗り継ごうとしていたところに道を尋ねてきた方で、ほどなく同じ学校に入学することが分かり、それならと一緒に会場まで行き、入学式ではずっとカミさんの隣に座り、寮も同じなどの話ですっかり意気投合したお母さんだというではないか。何か運命のようなものさえ感じた私は・・・

「当たり前だ そんな状況で帰ってきたら勘当だ! 最後までしっかり元気付けてあげるようにと返信しときなさい」 “仲間を真剣に大切にする”はウチの家訓である。

さらに娘の話では、震災以後首都圏でもコンビニには弁当やおにぎりなどがほとんどない状態だと言い、こちらとしても岩手のご家族の安否も気がかりだったので、何度も娘と連絡を取り状況を確認しながら、不足しない程度のお米やらレトルト食品やらを、寮に残っている子たちの分もと送ったりしていた。

そして一週間後、友達の家族は全員無事で、すぐ近くには流されてしまった家もあったが、彼女の家は何とか大丈夫だったらしいとの連絡が入った・・・今も厳しい避難生活の渦中におられると思うのだが、とにかく命が繋がって何よりである。


東日本大震災の翌12日未明、ここ信州の最北端、秘境秋山郷を抱える栄村も震度6強の大地震に襲われた。山国ということで東北のような津波による壊滅的な被害こそなく、一人の死者も出なかったとは言え、ライフラインは寸断され、国道117号線もJR飯山線も分断されて、多くの被災者は東日本同様今も不自由な避難生活に耐えながら、復興への道を懸命に切り拓こうとしている。

我々がそうであるように、他県から見ると長野県全体が大きな被災に遭い、大変な状況にあると思われているようである。直接的な被害のない当地松本でも、浅間温泉や美ヶ原温泉を初め、上高地や乗鞍などの観光地では春休みからゴールデンウィークにかけての予約がほとんどキャンセルになってしまったと聞く。

観光のみならず、農業、自動車、製造、小売、そのほとんどすべての企業が大震災によって何らかの影響を受け、通常の営業活動ができない状況にさらされている。


栄村の震災から4日後、東京に住む長男の彼女からカミさんにメールが入った。

半蔵門にある長男が勤務する会社でも、大きな揺れであちこちの棚が倒れ、書類も散乱して大変な惨状を目の当たりにしたようだ。震災当日は三鷹台のアパートまで何時間もかけて歩いて帰ったという。

その彼女からのメールは、鹿児島に住む彼女のご両親が、大地震のあった信州の我が家を案じ、ご実家で精製している温泉水(2010年8月「反面教師」参照)を万が一のときのために送ります、というありがたいものだった。

2日後、鹿児島県垂水市の地下770mより自噴する天然温泉水「美豊泉」の20ℓ入り3箱が届いた。一度もお会いしたことのない息子の彼女のご両親から、子ども達の縁をきっかけに、我々にまで強力な支援物資を送っていただくとは何とも恐縮しかりだが、おそらく牛伏寺断層という爆弾を抱える信州だからこそ、今はともかく今後何が起こるか分からないと、遠い空の下から我々を案じて下さったのだと感謝している。


一方では、千葉県在住の東京電力に勤務する高校時代の親友が、家に帰ることもできない状態で、日々福島原発事故の対応に追われているという。

また一方では、東京ディズニーランドの各種アトラクション設備のメンテを業としている高校時代の同級生が、先の見えない状況の中、毎日現場に詰めて夜遅くまで復旧に当たっているという。


家族を失い家を流され、働く場さえなくなってしまった被災地の皆さんのことを考えれば、周辺の人々の抱える問題など声高に語ってはいけないのかもしれない。

しかし、震災そのものを直接被らなかった地域でも、大袈裟ではなく死活問題に発展しそうな状況があちこちで起こりつつあるのが現実だ。


もちろん事務所のお客様も例外ではない。

資材が入らず操業をストップせざるを得ない工場もある。消費抑制、活動自粛の影響で売上の激減が見込まれる飲食店や観光事業者なども続出している。

そしてこんなとき「会計事務所は不況がなくていいよね」などとよく言われてしまう。

とんでもありません・・・ 

皆さんの事業が立ち行かなくなれば、私たち会計事務所も必要なくなる。
私たちの仕事は皆さんの事業の永続的な発展があってこそ存在するからだ。

この大震災は、誰が大変で誰が大変じゃないなどと軽口をたたけるような代物ではないことは誰もが分かっている。日々報道される被災地の変わり果てた姿、そして今後何年かかるか想像もつかない復興に対するパワーの創出を考えると、これまでの自分の生き方さえ見直す機会を天地に与えられたのではないかと思えてくるほどだ。

だが、日々の情報や報道の中には、前述したような人間の強さや温かさが感じられるものも数多くある。そんな胸の熱くなるような姿に勇気を貰いながら、同じ方向を向いたときの人間のエネルギーは大震災を超えるほどのパワーを発揮すると信じ、それぞれが厳かに、本当に苦しんでいる人たちの立場で自分にできることを見極め行動することが、今の私たちに必要な姿勢ではないかと思っている。



「お父さん震災の義援金送るけど お前も1万円位送っとこうか?」

被災地の状況を報じるニュースを見ながら一緒に夕食をとっていた次男坊に促した

「えっ 俺も?」

「ああ お前だってもう立派な社会人だ せめておにぎり百個分位貢献したらどうだ」

可哀想だがこんなときだけは『立派』な社会人に格上げだ


「1万円っておにぎり百個か・・・ 全然足りないね」

「お前一人でみんなを救えるわけじゃない でもみんなでやればみんなが助かる」

「・・・分かった 母さんに渡しとくから一緒に送っといて」

「了解!」