2008年11月29日

3ゲーム差の落とし穴

“ゲームカウント 4-1”

スタンドで試合を見守っていた人々もざわつき始めた

“いけるよ!”  “ハイッ!”

第5ゲームを取った娘のペアはハイタッチで気合を入れる


相手は確実に来年の県ナンバーワンとも言われる格上の第1シード
まさか秋期新人戦のダブルス準々決勝で敗退するなんて誰も思っていない

そして娘達も勿論最初から負けるつもりはないにしろ
まさかこんなスコアでリードするとは思っていなかった

コートチェンジで1分間のインターバル

このとき二人の心に『落とし穴』がポッカリ空いた・・・ように私には見えた

それまでずっと声を掛け合っていた二人が、そのインターバルでは
ベンチに並んで座ったままそれぞれに遠くを見つめて何かを考えている

『おいおい話をしろよ・・・ここからまた0-0の気持ちだぞ・・・』

二人は一向に声を掛け合わないままそのインターバルを使い切った

カミさんを含む母親応援団の興奮する姿を横目に私は呟いてしまった

「まずいなぁ・・・」 

「えっ? 何が何が」 

いつも以上にけたたましくカミさんが突っ込んでくる

「・・・お前も知ってるだろ? 3ゲーム差の恐さは・・・」

「ちょっと~ やなこと言わないでよ~」

「まあ次のゲームをどっちが取るかだな・・・」



硬式テニスをやったことがある方はお分かりかもしれませんが、テニスでは3ゲーム差からの逆転が意外に多いことをご存知でしょうか。私も高校3年のある大会の準決勝で3-0から逆転負けした経験があります。

テニスの勝敗は通常2ゲーム以上差をつけて6ゲームを先に取って決まります。従って試合で3ゲーム差が付く場面は、5-2、4-1、3-0になったときです。そして正規の試合では奇数ゲーム終了時にコートチェンジをして通常1分程度のインターバルを取るので、3差がついたあとは必ず一息入れることになります。

この3ゲームリードの局面が実は曲者なのです。

この場面で何故かそれまでとは違う心持ちになることが往々にしてあるのです。

実力も実績も明らかに向こうの方が上で、普通にやったら到底勝てないような相手に対しては特にそうです。そういう相手の場合は、言葉は悪いですが「負けて元々」という気持ちがあるからでしょうか、こちらは割とリラックスした良い状態で試合に入ることができます。勝ち負けに対するこだわりや、余計なプレッシャーがない状態です。その状態で一球一球のボールに集中してプレーしていると、不思議と普段出せないような力や粘りを発揮することがあります。更にまったく逆の立場で試合に臨んでいる相手は、こんなはずではと思っているうちに、普段冒さないようなミスを簡単にするようになり、徐々に焦りの色を濃くしていきます。

この日の娘達も、序盤素晴らしい集中力で伸び伸びとプレーして試合の流れを引き寄せると、あっという間に3-1とリードしました。しかし相手の実力を知っている二人は2ゲーム位のリードでは当然安心することもなく、集中を切らさないようにコート上でポイントの度に声を掛け合い、おそらくこの段階ではまだ勝負の行方なんてまったく頭になかったと思います。そしてその勢いのまま第5ゲームをワンポイントも与えずに奪取して4-1としたのです。

そのインターバルで彼女達の脳裏に浮かんだそれまでとは違う思い・・・

『本当に勝てるかも』という欲と『一つ二つ落としても』という油断

この落とし穴にはまった二人は次のゲームから見事別人になっていました。

試合の結果を考えてゲームを計算するようになり、守りに入った消極的なプレーはイージーミスを誘い簡単に相手にポイントを与えます。こうなると開き直った格上の相手は逆にリズムを取り戻し、実力通りの強烈で正確なショットが決まり始めます。試合の流れを完全に奪われた娘達はあれよあれよと5ゲームを連取され、目前の金星をつかみそこねて結局4-6で敗退してしまいました。


テニスだけでなくスポーツの世界ではメンタルが勝負を左右するとよく言われますが、これはスポーツに限ったことではないと思います。

私たちは日常「もしこんなことを言われたら・・・」とか「もしこんな人だったら・・・」などと、自分自身が勝手に思い描く妄想によって心を揺らし、悩んだり自ら行動を制限するようなことが結構多くはないでしょうか。

これを戒める意味で「平常心であれ」とか「無心になれ」という言葉がありますが、これらは何も考えないとか心を空っぽにすることを言っているのではなく、欲がもたらす妄想から生じる先入観や独りよがりの前提を持たずに、目の前に起こる事象をありのままに受け入れ、それだけに集中して向かうことが大切であることを意味しているのだと思います。

ウチの事務所では、この心の状態に少しでも近付くために毎朝15分間瞑想をしていますが、実際にやってみるとたった15分の間にびっくりするほどの雑念が次々と頭に浮かんでくることが解ります。ひょっとしたら人間は、無意識のうちに一日中あらぬ欲や雑念に支配されて生きているのかもしれません。私たちの瞑想は、これを思い浮かばないようにするのではなく、思い浮かんだ念を自覚して、これを捨て去ることを繰り返す訓練です。言うは易く行うは難しですが、あらゆる場面でこういった妄想に惑わされることなく、その時々の自分の心の状態を覚して整頓できる人であることを目指して取り組んでいます。

今までもそうでしたが、子供たちが真剣勝負に臨むその姿に、親である私たちが一喜一憂させてもらったり、本当に大切なことを再認識させてもらったり、教えてもらうことが多くて感謝感謝です・・・



「惜しかったなー」

帰宅した娘に声をかけた

「・・・どうしてあんなとこでダブっちゃうかなぁ・・・ホント下手くそ!」

問題の第6ゲームが自分のサービスゲームだった娘が涙目で自分に腹を立てる

「まあ技術の問題じゃないけど、確かにあのゲームがすべてだったな・・・
一つ落としてもまだ2ゲームリードって気持ちがどっかにあったんじゃないかな
3ゲーム差が付くまでの気持ちと、付いた後の自分の気持ちに
どんな変化があったかよーく考えてみろ・・・そこが落とし穴なんだよ」

「・・・」

「試合に入ったときの気持ちのままあの第6ゲームを取りきっていたら
間違いなくお前たちが勝ってたよ。勝負でタラレバは言っちゃいけないけど
テニスの3ゲーム差の局面ってのは、もう一回気持ちを入れ直さなきゃいけない
試合を左右するポイントなんだよ・・・
ただ逆もまた然りで3ゲーム差はひっくり返すチャンスってことだ。
まあ今日は悔しいだろうけど、いい経験ができたじゃないか・・・ 
これからの試合、3ゲーム差の落とし穴にはまらないようにやりきってみろ!」

「・・・ウン!」


やっぱり何ごとも経験 失敗は成功のもとにしたいものです・・・

とは言え、本当は私が一番 『悔しいです!!』