2008年3月29日

モラル

「どうだった?」

「おおー 一発合格! しかも満点! どうよ~」

「エーッすごいじゃん!・・・でも満点ってどうして分かるの?」

「帰るとき点数聞いたら教えてくれた やっぱ俺って天才?」

「そんなの社交辞令でしょ、でもお父さんは学科1回落ちたもんネーッ」

「ウッソー! マジー? ありえネエ・・・」

(母子二人で盛り上がってりゃいいのにこっちに振るな)

「あの頃は毎日バイトに追われててなぁ、お父さんも忙し・・・」


「さっそく車見に行かなきゃね、日曜日にでも行っといで!」

「ウン お父さん今度の日曜空いてる?」

「・・・ああ・・・たぶん」

(振っといて人の話は全然聞かねーし このB型母子は・・・)


就職を間近に控えた次男がこの春休みにせっせと自動車学校に通い、(本人曰く)ストレートで運転免許を取ってきました。
私らの頃とは違い、今はほとんどの高校が3年生の進路が決まるまでは自動車学校に通ってはいけないというルールがあるらしく、おまけにウチの息子は2月生まれで誕生日を過ぎないと実地教習が受けられないので、期間的には多少厳しい状況ではありました。しかし彼は就職の必須条件である運転免許取得のために、(やはり本人曰く)これまで生きてきた中で一番必死に勉強した(遅い!)とのことです。

その日母親の車を借りて初めて一人で町に出た息子が、夕飯時に交差点での優先順位やらフロントパネルに付いている色々なオプションの機能や使い方などを私に訊いてきました。
彼は教習所を出たばかりなので、もちろん知識としての優先順位は分かっています。しかし実際走ってみたら、それがまったく通用しなかったらしく混乱したようです。

「近頃そういう車が多いから十分注意しなさい」などと息子に答えているうちに、私は自分が車で走っているとき最近本当によく感じる「何でそうなの?」という話をしていました。


後先考えずに交差点の真中に停車する(停車しちゃった)
前が詰まっていても道を譲らない(何があっても前には入れさせない)
完全に赤信号に変わっているのに突っ切る(逆にスピードを上げる)
スペースも考えずにその場で車を停める(そこに停めるから渋滞ができる)
横断歩道で子どもが手を上げていても停まらない(誰かが停まってくれる)
行き先を探しながら道の真中をノロノロ運転する(分からないから仕方ない)
etc・・・etc・・・ まったくきりがない

もちろん車の流れを遮ってまで、いつでも他人優先でなんてことは言いませんが、逆にその車の流れを遮るような、今風に言うと空気を読めない輩が何と多いことかと皆さんは感じませんか?


ここ信州はただでさえ運転マナーが悪い地域としてよく名前が挙がります。私は公安の回し者でも聖人君子でもありませんが、毎日見る世間の運転事情に「我先に」「俺が俺が」「自分さえよければ」という風潮を強く感じます。

それは、単に運転マナーの悪さが気に入らないという話ではないのです。

人の心が、周囲にはほとんど目を向けない、気配りのできない、利己主義な自己愛護精神を強く持つ傾向に向かっているように思えてならないのです。

核家族化や少子化といった生活環境の変化を背景に、人の生活は守るべきスクラムの輪がどんどん小さくなっています。そして小さい分だけ目と心は内へ内へと向けられて、果たすべき責任や判断の基準も独りよがりになり、許容心、包容力といった人格的な懐は、悲しいかな本当に狭くなっている気がします。


モラルとは、一般的に倫理感、道徳心のことを指し、そして倫理とは『人として守るべき道、善悪・正邪の判断における普遍的な基準』と説かれます。

後を絶たない幼児虐待やいじめ問題、DVに無差別殺人など、モラルの低下、いや劣化が引き起こす悲惨な事件を、私たちは「まただよ、やだね~」と別の世界のことのように感じています。しかし、車の運転一つとってみても、私たちの心の内側には、その当事者と同じような壊れかけたモラルが存在しているのかもしれません。

重要なのは、自分の中でそんな壊れかけたモラルが顔を出したときに、自らそれに気が付き、それを素直に受け止め、そこで心を整えられるような人間力を身につけることだと思います。



「あの・・・お父さん・・・」

免許を取って2週間、息子が嫌なトーンで声をかけてきた

「今日お母さんの車をウチの駐車場に入れようとしたとき
迎いの家のフェンスにこすっちゃって・・・ボンネットが・・・」

(や、やっぱり・・・)

「も…もう?」

「ごめんなさい!」

「う~ん」


怒らない怒らない
親としてしっかりしたモラルを持って対応せねば・・・ クーッ辛い